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芸能裏ねたジャーナル

302小説吉田学校読者:2006/12/20(水) 21:55:17
その2 昭和のTV黄金期の終わり。

やはりこの人の魅力は在野精神であります。
ここは芸能スレなので、二院クラブとかのことは書きませんし、都知事のことも書きませんが、TVで、ちゃんと「放送作家」と言えるのは、この方だけじゃなかったのか。
そして、マルチ才能で目立つの好きでわがままで性格もちょっぴり悪い、理想的な生き方だったと思います。

我々の世代ですと、意地悪ばあさんであります。意地悪と在野精神は似ております。
「追跡」で現場に口出す30分報道番組を作ったのもさすが青島だと思います。これとシャボン玉ホリデーで日テレバラエティ黄金期。青島幸男に斎藤太朗、この2人をないがしろに日テレはできません。
合掌。

<青島幸男さん>反骨精神 戦後の社会、文化、政治に話題
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061220-00000069-mai-soci
 
 戦後の社会、文化、政治に、話題をふりまき続けたマルチタレントの元祖、青島幸男さんが20日、亡くなった。根っからの反骨精神を信念に、「青島だぁ」と叫び続けた青島さんの突然の訃報(ふほう)に、芸能界、政界からは驚きと悲しみの声が上がった。
 日本橋の仕出し弁当店に生まれた青島さんは、少年時代から江戸っ子気質のガキ大将。だが、早稲田大4年の秋、ろく膜炎で療養を余儀なくされる。「医者が深刻な本なんか読んじゃだめっていうもんだからラジオで落語や漫才ばかり聴いていた。そうしたらこれならオレ書けるって……」と1956年、漫才台本で放送作家としてデビュー。
 59年「おとなの漫画」(フジテレビ)で「ハナ肇とザ・クレージーキャッツ」と出会い、61年の「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)では自ら番組に登場。「青島だぁ」は流行語となった。
 62年、植木等さん主演の映画「ニッポン無責任時代」が大ヒット。無責任で調子のいい植木さん演じる平均(たいらひとし)は「実は青島そのもの」だという。映画と共に「スーダラ節」「黙って俺についてこい」「ハイ、それまでよ」といったコミックソングも次々にヒット。高度成長時代の矛盾を、本音と笑いで表現した作品は、共感を集めた。
 青島さんの反骨精神は、政治の世界へも持ち込まれていく。68年、参院議員に無所属で初当選。金権政治の打破を訴え、2期目の選挙からは「公営選挙に徹したい」と街頭演説など金のかかる選挙を一切しないと宣言。89年には自民党の予算案の強行採決に抗議して、突然辞職する。
 一方で、81年には「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞するなど、世間をあっと言わせるマルチな才能と“青島節”を見せつけた。
 95年の東京都知事選に出馬。政党推薦の候補を破り、「無党派層の反乱」と世論の圧倒的支持を受けた。1期務めた後は、「意地悪ばあさん」を演じる一方、参院選に挑戦(01年、04年)するなど、最後まで青島節を貫き通したが、最近は体調を崩し表舞台から遠ざかっていた。


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