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芸能裏ねたジャーナル

1669とはずがたり:2016/05/23(月) 00:57:16
鶴瓶とやってたパペポテレビが大好きでした。パペポの中でも引退を公言してたけど残念だなぁ。彼らしい美学なんでしょうけど。

「ボクの芸は20世紀で終わり」上岡龍太郎が芸能界引退した理由
http://www.excite.co.jp/News/90s/20160522/E1463462477198.html
90s チョベリー 2016年5月22日 23時18分

芸能界において、これほど潔の良い引退はあったでしょうか? 島田紳助のように、不祥事が理由でもない。大橋巨泉のように、気が向いたらたまにテレビにでる“セミリタイア”でもない。最近話題となった岡本夏生のように、「生放送以外は出ない」という中途半端なスタンスでもない。

しかも、複数の看板番組をもっていたにも関わらず、本当に綺麗さっぱり全て降板。マスコミの前に姿を現すのは、生前世話になった著名人の葬儀の時だけ。
その首尾一貫した姿勢は、一種の様式美さえ感じさせます。その人物の名前は上岡龍太郎。話芸の達人として君臨した、関西お笑い界の巨星です。

話芸の達人だった上岡龍太郎

次から次へと言葉が紡ぎ出される流暢な語り口調。適当なことを言いながらも、最終的に聴衆を思わず納得させる、巧妙かつ力技めいたロジック。油断したところにぶち込まれる突然の毒舌……。知性派と評されたその芸は、いわゆるコテコテの関西的芸風とは一線を画する、スマートかつ独特なものでした。

その話芸の一端が最近、と言っても10年ほど前になりますが、発揮されたのは2007年のこと。盟友であり恩人の横山ノックが死去した際に自身が発起人を務めた「横山ノックを天国へ送る会」の時でした。
「ノックさん、あなたはボクの太陽でした。」という故人を偲ぶ一言から始まる、笑わせるも泣かせるも自由自在な口上に世間は驚嘆。
引退してこの時で既に7年。なおも錆付かない話芸により、改めて不世出の芸人であることを証明して見せたのです。

上岡龍太郎、新幹線での出来事で引退を決意

そんな上岡は90年代、関西でレギュラーを持ちつつ東京へも進出を果たし、全国的な知名度を獲得。キャリアの絶頂期といって良い人気を博してました。この時50代。妙齢に達してこの世の春を謳歌していた男が、一体なぜ、引退を決めたのでしょうか?

その決断にはいくつもの要因が絡んでいたようですが、最も決定的だったと言われる出来事を紹介します。
ある時、新幹線にて次のレギュラー番組で共演予定の若手芸人と遭遇した上岡。2人は当然「これからよろしくお願いします」と挨拶をします。上岡も「よろしく」と返すのですが、そこから話題が続きません。
その時に彼はふと、過去を想起します。そういえば、自分が若手の頃も共通の話題がなくて困った大御所がいたな、と。そして自身がいつの間にか、その大御所と同じ立ち位置に来てしまったのだと痛感したのです。

「引退を考え直してくれ」と手紙を送った島田紳助

他にも滑舌が悪くなった、自身の外見的な衰えを感じたなど、様々な理由があるようです。ともあれ、1997年の新春に引退することを公表した上岡。「ボクの芸は20世紀で終わり。21世紀には新しい人生を歩みたい」と発言し、大きな話題を呼びました。

これを受けて即座に反応したのは、上岡を師と仰ぐ島田紳助。芸について、司会について多くを学んできたこの大御所に、「芸能界での道標を失ってしまう。引退を考え直してくれ」という旨の手紙を送ります。すると上岡からはこんな返信が。「ずいぶん前から君は僕の前を走っているんだよ」。紳助は涙が止まらなかったと言います。

かくして、公言通り、2000年4月に芸能界から去っていった上岡龍太郎ですが、未だに彼より綺麗に引退したタレントは現れません。女性タレントならば、結婚というリタイアの仕方もあるでしょう。
しかし、男でありながらこの鮮やかな去り方は異例中の異例。立つ鳥跡を濁さず。それを見事体現した上岡に、引き際の美学を後続の芸能人たちは学ぶべきなのかも知れません。とは言え、中々難しそうですが……。
(こじへい)


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