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芸能裏ねたジャーナル

1651とはずがたり:2015/11/26(木) 11:02:23
>>1650-1651
 その言葉を証明するように、映画「愛情の決算」(佐分利信監督)を撮影中の56年3月6日には、父藤之助さんが脳いっ血で死去した。兄同様、映画のロケ中の悲報だった。

 小学校時代、木登りが大好きな活発な少女で、5年生でスポーツ選手、6年生のころには外交官夫人や教師を夢見た。ところが家庭の経済的事情から高等女学校を中退。目標を失いかけたが、2番目の姉光代さんの夫が熊谷監督だったことから、女優を目指した。自分の意思よりも周囲の状況が、会田昌江を原節子にしていった。秦さんは「もしかしたら性格が女優向きじゃなかったのかも。人に見つめられるのが嫌いなのか、撮影所ではいつも走っていた。そんな女優さんはほかにいなかった」。

 肉親の死、「東京物語」での死生観の名演技。視力の衰え……。その中で、原は「原節子」よりも「会田昌江」であることを選んだのではなかったか。結婚歴もなく、美しさを保ったまま姿を消した原に、いつしか「永遠の処女」の呼び名がつき、伝説となった。

 今年12月10日(命日は12日)、鎌倉・円覚寺で小津監督をしのぶ会が営まれた。毎年、原にも招待状が送られているが今年も原の姿はなかった。【松田秀彦】

 ◆1962年(昭37)

 堀江謙一さんがヨットで太平洋単独横断成功。東京都人口1000万人突破。巨人の王貞治初めて1本足打法で登場。金田正一投手三振奪3514個の世界新記録樹立。キューバ危機起きる。マリリン・モンローなぞの死。美空ひばりと小林旭結婚(のち離婚)。流行語は「無責任時代」「回転レシーブ」など。日本レコード大賞は「いつでも夢を」(橋幸夫・吉永小百合)。

 ◆原節子(はら・せつこ) 本名会田昌江(あいだ・まさえ)1920年(大9)6月17日、横浜市保土ケ谷生まれ。35年(昭10)に日活多摩川撮影所に入社。同年「ためらふ勿れ若人よ」(田口哲監督)でデビューし、芸名は同映画の役名のお節ちゃんが由来。37年日独合作映画「新しき土」で日本人女優として初めて外国映画に出演。戦後は成瀬巳喜男、黒沢明、吉村公三郎、今井正、小津安二郎ら巨匠の作品に出演。特に成瀬監督「めし」、小津監督「晩春」「東京物語」などは高く評価された。51年ブルーリボン賞、毎日映画コンクールの主演女優賞を獲得。未婚。

(2000年12月25日付日刊スポーツから)


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