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芸能裏ねたジャーナル

1643とはずがたり:2015/11/03(火) 13:56:43
>>1642-1643
中村はいさぎよく敗北を認めた。そして思い出したように「ところであなたは誰ですか?」と聞くと、男は「森田です」と初めて名乗ったのだという。山下は「全冷中顛末記」(『ピアノ弾き翔んだ』1978年所収)というエッセイで、この瞬間をもう少しくわしく描写している。

朝も白々と明けた頃、この黒ブチ眼鏡に白ワイシャツ、黒ズボンにズック靴の男は、急に真面目な顔になり、ではと言って帰ろうとした。ドアへと歩いて行くその後姿に向って、最早ユカタもはだけ、パンツもずり落ちている中村が呼びかけた。/「失礼ですが、あなたのお名前は何とおっしゃるのですか」男は立ち止まり、ドアに手をかけたまま、こちらを向いた。/「モリタです」中村は走り寄り、二人は抱き合い、再会をちかった。
当の中村が最近インタビューで語ったところによれば、このとき頭にかぶったのは底の抜けた籐椅子ではなく籐のゴミ箱で、最初から虚無僧の真似をしていたという。子供の頃、講談本が好きだった中村は、そこに登場する虚無僧がお気に入りだったらしい。そんな恰好で踊っていたところ、10センチくらい開いていたドアから、タモリがいきなり歌いながら入ってきたのだった。中村はその瞬間を次のように振り返っている。

怖い感じはしなかったですね。入ってきたときに一瞬、誰かな? と思っただけ。そのままふたりで踊って。バッチリですよ、バッチリ完成されてたと思いますよ。音楽でいきなりジャムセッションしてうまくいったのと一緒で、感覚的にはジャズ演ってるのとあまり変わらない。
(『タモリ読本』2014年)
中村いわく、デタラメな朝鮮語は、踊りを終えてから「おまえは誰だ?」と聞こうとしたものの言えなくて、代わりに口を衝いて出てきたのだという。それに対しタモリはもっと流暢な言葉で返したのち、ようやく「タモリです」と名乗った。本名ではなく、学生時代から呼ばれていた名前を口にしたというのが、山下の証言とは異なる。

また中村によると、タモリは明け方になって帰る際、「明日はどこへ行くんでしょうか?」と訊ねてきたという。熊本大学の学園祭に呼ばれて行くと答えたところ、彼が「じゃあ、汽車をキャンセルしてぼくの車で行きましょう」と言い出し、中村たちはタモリの運転で福岡から熊本へ移動することになった。結局、タモリは山下トリオとその後3日間一緒にすごしたが、4日目にはさすがに仕事があると帰っていったそうだ(『タモリ読本』)。

このあたりも山下が書いているのと食い違う。タモリ自身も山下の記述と同様に、トリオと初めて会った際にはやはり、夜明けに「こりゃいかん、会社があるんだ」と帰ろうとしたところ、名前を聞かれたので「私は森田と申します」と言い残して帰ったと語っている(『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』2000年)。中村がタモリと熊本に行ったというのは、ひょっとするとべつのときの話なのかもしれない。


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