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芸能裏ねたジャーナル

1642とはずがたり:2015/11/03(火) 13:56:20
30歳の地図??博多の怪人、新宿に現る 前編
https://cakes.mu/posts/6247
近藤正高
2014年7月2日

近藤正高さんの「タモリの地図」は、いよいよ芸人タモリ誕生のお話です。タモリは福岡でジャズ・ピアニストの山下洋輔と出会い芸人になった、というのはタモリ好きには有名な話。エッセイストとしても知られる山下洋輔はその時の話を本にも書いておりますが、いくつかの証言と比較するとどうやら食い違いがあるようです。タモリはいかにして山下洋輔に”発掘”されたのか。様々な文献からその真相を掘り当てます!

デタラメ外国語を相手の3倍の速さで返す

1972年1月、グアム島のジャングルに潜伏し続けていた旧日本兵・横井庄一が、終戦から27年ぶりに発見され、繁栄を謳歌する日本国民に衝撃を与えた。のちに横井はタモリの格好のネタとなり、レコードアルバム『タモリ3 戦後日本歌謡史』(1981年)にも「私はあの、愛知県の出身で、エビフライっていうものに憧れていたので、川へエビをとりにいって、見つかってしまった」というモノマネが収録されている。

当のタモリがジャズ・ピアニストの山下洋輔らによって“発見”されたのも、同じく1972年のことだとされる(前年の71年とする説もあるが)。それについては山下たちによってこれまで何度となく語られてきた。ここではまず、山下がタモリとの遭遇を記した最初期の文献の一つ、『ピアノ弾きよじれ旅』(1977年)をもとに再現してみよう。

演奏旅行で福岡を訪れた山下洋輔と中村誠一(テナーサックス)・森山威男(ドラムス)のトリオは、公演が終わったあと、真夜中すぎまで宿泊先のホテルの一室で大騒ぎをしていた。やがて山下がベッドに正座しながら、デタラメな長唄を歌い出す。それにあわせて浴衣姿の中村が籐椅子を鼓つづみのように抱え、ヨォーッカッポンカッポンと言いながら踊り始めた。だがそのうちに籐椅子の底が抜けてしまう。中村はすかさずそれを、虚無僧の薦こものごとく頭からかぶった。そうやってなおも唄い踊っていると、部屋のドアが開き、知らない男が中腰で踊りながら入ってきたのである。

男はときどきヨォーなどと言いながら中村のそばまでやってくると、彼の頭から籐椅子を奪い取り、自分がかぶって踊り続けた。我に返った中村は、踊りをやめ、ものすごい勢いでまくしたてる。それも日本語ではなく、得意としていたデタラメな朝鮮語で。だが信じがたいことに、男は中村の3倍の勢いで同じ言葉を返してくるではないか。びっくりした中村はそれならと中国語に切り換えた。しかし相手はその5倍の速さでついてくる。

その後もドイツ、イタリア、フランス、イギリス、アメリカと各国語(むろんすべてデタラメの)でやり合ったものの、ますます男の優位になるばかりであった。ついには男が急にアフリカ原住民の顔となってスワヒリ語をしゃべり出す。さっきから笑いが止まらず悶絶寸前だった山下は、それを見てついにベッドから転がり落ちたそうな。


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