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芸能裏ねたジャーナル

1590神奈川一区民:2014/09/08(月) 23:31:31

>>1589の続き)

 そんなやりとりを耳にしているうちに、79年頃の記憶がよみがえった。三十路になるかならないかのたかじんさ
んがMBSのヤンタン(関西在住の10代にとって“義務教育”のようなラジオ番組「ヤングタウン」の愛称。たかじ
んさんは83年までパーソナリティーを務めた)で、実父との確執を語っていたことを思い出したのだ。学生時代、
新聞記者志望を父に告げた際、突き放すような敬語を交えて頭から全否定された場面を、たかじんさんは父の
口調をまねて再現していた。青年期のルサンチマン(この場合は父という絶対者への憎悪であり、同時にそれは
音楽を選んだ表現者にとって不可欠な要素、動機付けになったと思う)にあふれていたが、出自については全く
触れられることはなかった。

 式後のパーティーで角岡氏に声を掛けた。神戸新聞時代の昔話もそこそこに、たかじんさんの出自について
改めてうかがうと…。「周囲はそのことを知っていたが、最後まで公にされなかった。自身の番組で“在日”を取り
上げた際、在日韓国人のパネラー(例えば前述の崔監督)を迎えたことがあり、その時、本人も名乗るチャンスは
あったのに、できなかった」。だからこそ、“それ”を初めて書くプレッシャーと同氏は格闘した。

 では、なぜ、そこまで掘り下げたのか。それは「歌手としてのやしきたかじんを再評価したい」という思いから
だったという。実はそれこそが本書の大きなテーマだ。出自にまで触れたのは、彼の「歌」に結びつく原点の1つ
として描かねばならなかったからだろう。何よりも、本書のタイトル「ゆめいらんかね」は「家鋪隆仁」名義で自身が
作曲し、キングレコードの「ベルウッド」レーベルから76年10月21日に発売されたデビュー・シングルの曲名で
ある。同日発売のファースト・アルバム「TAKAJIN」の5曲目にも収録されており、当時、たかじんさんは27歳に
なったばかりだった。

 「ベルウッド」といえば、高田渡、はっぴいえんど〜細野晴臣&大瀧詠一のソロ、あがた森魚、友川かずき(現
カズキ)、遠藤賢司、三上寛…といった唯一無二の顔ぶれが群雄割拠した伝説のレーベル。後にカリスマ司会
者となり、「やっぱ好きやねん」「東京」などのヒット曲で知られる歌手と彼らの音楽性は、今でこそ交わる要素を
全く感じさせないが、モハメド・アリとアントニオ猪木が日本武道館で戦ったあの年、「1976年のやしきたかじん」
はその延長線上にいたシンガー・ソングライターだったのだ。

 角岡氏は言う。「9・11という日に本を出す。(01年の同時多発)テロとは全く関係ないですが、僕にとってはハ
ラハラドキドキ。本人が隠してきたことを僕が書いてしまうことに怖い部分もあります。でも、それ(出自)をバネに
して彼は歌手として頑張ったんですから」。果たして、たかじんさんの出自と歌のつながりとは…。こちらも覚悟を
もって、まもなく世に出る書を手に取りたい。
(デイリースポーツ・北村泰介)

http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/09/08/0007312211.shtml


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