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芸能裏ねたジャーナル

1285小説吉田学校読者(激忙中):2011/01/22(土) 09:18:52
アメマ連呼には、やはり大阪といった感がありますが、ご苦労様。
ネットとテレビの融合ってこんな感じなのだろうか。まさに21世紀的な記録達成であります。

「ア〜メマ〜!」寛平さんゴールを観衆3千人が出迎え
http://www.asahi.com/national/update/0121/OSK201101210107.html

 「ア〜メマ〜!」。2本の足で地球をぐるっと一周したタレントの間寛平さん(61)が、おなじみのギャグとともに21日、大阪に帰ってきた。ゴール第一声は「ありがとう! ただいま帰ってきました。おれは本当に幸せもんや」。待ち受けた約3千人の観衆も、「ア〜メマ〜!」を大合唱して迎えた。
 陸路、海路合わせて4万1040キロにおよんだ地球一周は、1980年代半ばからマラソンに取り組んできた寛平さんが思い立ち、吉本興業、日本テレビ、電通でつくる「間寛平アースマラソン製作委員会」の主催で、実現にこぎつけた。インターネットを活用、日々の模様はブログで映像も交えて発信した。
 2008年12月に大阪を出発、太平洋を初挑戦のヨットで渡って米国ロサンゼルスへ。北米大陸を走って横断、ニューヨークから再びヨットで大西洋を越え、ヨーロッパに入った。ユーラシア大陸を東へ、東へ、黙々と走った。
 「落ちたら終わり、ヨットにしがみつきました。ホントに怖いですよ」。今月4日に福岡市に上陸、大阪に向かう途中の12日に広島市で開かれたイベントで、ヨット生活の苦労をしみじみと振り返った。
 最大の試練は、昨年1月にトルコで判明した前立腺がんだった。それでも走り続けたが、トルクメニスタンに入ってから中断、米サンフランシスコに飛んで放射線治療を受けた。約2カ月の中断の後に再開、7カ月で大阪に帰ってきた。
 この2年余り、零下19度の極寒の中も、40度以上の灼熱(しゃくねつ)の下も1日50キロを目標に走り続けた。世界各地で温かな励ましを受けた。
 大阪城音楽堂でゴールを待ち受けたシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん(38)は「私も毎日40〜50キロを走り続けることはありますが、環境が違う。信じられません」と感嘆した。
 寛平さんは大歓声を背に再び走り出し、「第2のゴール」とされたミナミの劇場「なんばグランド花月」へ向かった。第一歩を走り出した出発地点だ。午後8時40分過ぎに到着、迎えた笑福亭仁鶴さん、桂三枝さん、明石家さんまさんら芸人仲間に祝福された。


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