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【捲土重来選挙】200X次期衆院選スレ

5483千葉9区:2008/10/02(木) 20:42:47
園田は出馬模索してるんですね。サイトも更新してないし諦めたのかと思ってましたが
まあ、出ても出なくてもあまり影響なさそうですが

選択のとき 08かごしま
2区 自立訴え「保徳」振り払う
2008年10月02日
http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000310810020001
 徳田毅氏は8月23日、鹿児島市で開いた国政報告会で、民主推薦で初当選しながらも自民党にくら替えした理由を支持者らに打ち明けた。
 「私と私の父では、あまりに力が違いすぎた」
 父は自由連合代表の虎雄氏。奄美群島での支持は今も絶大だ。毅氏は「自由連合代表で活動しても1年間は何もできなかった」。与党の政治力を身につけるためのくら替えを強調した。
 鹿児島2区の奄美群島では、かつて自民の保岡興治氏と虎雄氏が衆院選で争った。
 両派の運動員から公職選挙法違反容疑で多くの逮捕者も出た。当時の選挙運動にかかわった60代の女性は振り返る。
 「買収、不在者投票所での投票強要、相手陣営の動きを監視する見張り小屋の設置、候補者への尾行……。それはすごかった」。「保徳(やす・とく)戦争」と呼ばれる。
 転機は保岡氏が1区に転出した95年。虎雄氏はその10年後に病気で政界を引退した。選挙通の60代の男性は語る。
 「むかしは『どこそこの集落で○○派がカネを打った(買収のためにカネを配った)』なんていう話が飛び交っていたものだが、今じゃめっきり聞かなくなった」
 先月28日に奄美市であった公明党の国政報告会。壇上に毅氏と保岡氏が立ち、連立与党への支援を訴えた。
      *
 「選挙の話ではなく、政治の話をしないといけない。保徳の時代は終わった」
 8月4日、奄美市で民主党が開いた時局講演会で、党公認の打越明司氏が宣言した。自民か徳田かの二者択一は終わり、「政策で選ぶ時代だ」と。そんな言葉の背景には、自民から民主にくら替えした経緯もある。
 05年衆院選で自民党県議団長から転身したが、自民公認を得られず無所属で出馬。最下位で落選し、次期衆院選で自民公認をめざしたものの、毅氏の自民入党で公認の可能性が絶たれた。直後の07年1月に党を離れ、6月に民主に入った。
 元衆院議員も出馬への意欲を見せているが、自民党から公認を得られる可能性はない。
 打越氏の陣営幹部は「政治家としての基本姿勢は変わっていない。むしろ自民党県議だったことが保守王国で信頼につながっている」。別の幹部も言う。
 「もう過去のことを言っている場合じゃない。向こう(毅氏)も同じことだ」
 毅氏の支持母体、医療法人徳洲(とく・しゅう)会の幹部も「参院選で『自民の徳田』を印象づけることができた」と言う。だが、自民党の有力支持組織の医師会は徳洲会と長年対立してきた。次期衆院選の推薦候補を発表した鹿児島市医師連盟は2区では指名しなかった。毅氏はこう感じている。
 「選挙区を回ると、保徳の感情が乗り越えられていない面もある。だが、政治は感情的であってはならない」
      *
 奄美群島振興開発特別措置法(奄振法)は来年3月、期限切れを迎える。
 毅氏は「延長してもあと1回か2回が限度。公共事業に依存せず、島の農業や観光を生かせば、初めて自立できる」と言う。
 打越氏は「公共事業に99%が費やされ、自立できるか。奄振を交付金とし、島民のプログラムで投資先を見つけていくべきだ」と指摘する。
 公共事業をどれだけ奄美に持って来られるかを競った保徳戦争。次期衆院選は、奄美の自立が本題になる。


◇立候補予定者の顔ぶれ
徳田  毅 37 自現1 元自由連合代表
打越 明司 50 民新  元県議


◇05年衆院選
当  徳田毅   無新  87737
   園田修光  自元  71858
   打越明司  無新  44853
◇03年衆院選
当  徳田虎雄  自連前 97423
   園田修光  自元  90952
   堀拓生   共新   9903
※政党などは当時


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