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【捲土重来選挙】200X次期衆院選スレ

2550とはずがたり:2008/02/10(日) 19:33:39
森田氏の話題になってる日のコラムを転載しておきます。

2008.2.6(その2)
森田実の言わねばならぬ【82】
ttp://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04035.HTML

 去る2月2日まで衆議院大阪1区の民主党候補予定者だった「さかいゆき」さんから深刻な内容の手紙をいただいた。
 「さかいゆき」さんは、かつてNHKディレクター時代に何回か拙宅まで取材にきたことがある。1990年代前半の頃だったと記憶している。その後、故高坂正堯京大教授(政治学)から頼まれて高坂教授の教え子の集まりで講演したこともあった。それ以来、さかい夫妻(ともに京大法学部での高坂教授の教え子)と親交をつづけてきた。
 このさかい女史から手紙をいただいた。
 民主党の評価にかかわる重大なことなので、全文引用する。
 なお、さかいゆきさんのプロフィールは次のとおり。
《1968年1月17日大阪市中央区生まれ
 追手門学院小学校・神戸女学院中高等部卒業
 神戸女学院大学文学部英文学科卒業
 京都大学法学部卒業(故高坂正堯教授に国際政治学を学ぶ)
 NHKディレクターとして6年間勤務
 自転車同乗中の幼児ヘルメット着用を全国に広める
 平成17年衆議院議員選挙に大阪選挙区から出馬、8万2488票の支持を得るも次点
 市民団体「ママチャリ・子どもを守る会」を設立
 現在、NPO法人「安心・安全な生活を考える協議会」理事》

[さかいゆきさんからの手紙]
《さかいゆきのこれまでの活動と民主党大阪府連の対応について
 私は京都大学卒業後、渋谷のNHK勤務時代、26歳のときに政治家を目指し、人の紹介で小沢先生から衆議院候補者としての面接を受けました。しかし、当時独身で、両親からは「結婚してからならいい」と反対され、政治家になる夢を一時中断しておりました。
 縁あって、同じ京大高坂正堯先生のゼミの先輩と結婚しました。しかし、すぐに主人はフィリピン勤務となり、私もNHKを退職してマニラへとついていきました。
 1歳前の子どもをつれて帰国後、日本での子育て支援の不十分さを痛感しました。親との約束どおり、もう結婚していまし、主人も理解がありましたので、当時住んでいた墨田区議会議員に立候補、2位で当選しました。任期中には、公約どおり、保育所の定員増員を実現したり、「ママチャリ」に乗る子どもの安全確保のためのヘルメット着用運動をし、(後に法制化される)次々と政策を実現してきました。
 民主党のある議員さんから、衆議院に出ないかとのお話をいただき、前回の郵政民営化選挙では、大阪15区で戦い、8万2000票以上をいただきましたが、惜敗。その経験を踏まえ、「選挙に出るにはなんらかの地盤がない場合はやはり、生まれ育った土地から出なければ」との思いを強くしました。その後、小沢先生の一新会クラブに紹介していただき、入会。そこで、「次の選挙は元職と言えども公募に応募しなければならない」と教えられ、正式に公募に申請しました。
 2007年の1月に公募に合格の通知がきました。民主党本部からの調査票が送られてきたことがそれです。そこに希望選挙区は「大阪1区」と書き、推薦人の方々のお名前を掲載して提出しました。その時点で大阪1区には総支部長が誰もいなかったのです。それと同時に事務所も大阪市中央区で大阪府連のすぐそばにかまえました。
 大阪府連にも大阪1区を希望している件は文書にて明示しました。


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