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大中華世界的話題

897千葉9区:2009/02/27(金) 22:57:12
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200902250007o.nwc
国民党、馬総統支持に陰り 高まる胡・台中市長待望論
2009/2/25

 台湾与党・国民党の新たなリーダーとして台中市の胡志強市長が注目を集めている。10年以上にわたり同党のホープとして君臨した馬英九氏は総統就任後9カ月で支持率に陰りがみられ、党内には胡氏を待望する声が高まりを見せている。

 【分析】

 胡氏は英オックスフォード大学で国際関係論の博士号を取得したあと、台湾に帰国し、国立中山大学の教授を務めた。その後、政界に入り、李登輝元総統の下で、行政院新聞局局長として国家広報に従事した。96〜97年には、米ワシントンの台北経済文化代表処代表として、事実上の駐米大使を務めた。97〜99年には外相の重責を果たし、現在は歴史的に最も統治が難しいといわれる台湾中部の台中市長を務めている。

 台湾の政治家としては海外で最も知名度が高く、好意を抱かれる人物といえる。10年以上にわたる英国留学時代、外交官としての2年間の米国時代に、多くの友人や支持者を獲得した。鋭い機知と生き生きとした振る舞いで台湾でも人気がある。人柄に加えて、政治指導者として明らかに優れており、台湾全土で高く評価されている。

 ◆暗転の過去

 胡氏の外交官、中央政界の大物政治家としてのキャリアは99年11月に突然終わりを告げた。当時の国民党は、李登輝元総統の後継を争う総統選挙で困難に直面していた。同党は候補者を一本化できず、連戦主席、離党して無所属で立候補した宋楚瑜氏、陳水扁・民進党主席との三つどもえのなか苦戦していた。国民党は連主席の選挙戦を救うよう胡氏を頼ったが、連氏が陳氏に敗れたことを契機に、胡氏の政治キャリアは暗転した。

 胡氏は10年以上にわたり、海外と台北で活動したあと、生まれ育った台中市長を目指した。2001年、3人が立候補した数カ月の白熱した選挙戦で、胡氏は半数の票を獲得し当選した。

 しかし、新市長は台中市を立て直す難題に直面することになった。同市は台湾で最も広い都市だが、資源に乏しく、中央政府からも軽視されていた。高い犯罪率、貧弱なインフラ、大気汚染で悪名が高く、胡氏が市長に就任した当時は台北市や高雄市といった主要都市に大きく後れを取っていた。

 かつて胡氏は「台中市は個性に乏しく、産業、行政、教育などの分野で台北市や高雄市と競争しても勝ち目はない」と述べたことがあった。

 その後、芸術と文化の都市づくりを進め、無料コンサートやフェスティバルを計画し、多くの観衆を集めた。グッゲンハイム美術館の分館誘致で大失敗を経験したものの、同市は07年、世界リーダーシップ・フォーラムで「最も優れた文化芸術都市」に選ばれた。

 胡氏は、工業団地の「中部科学工業園区」を建設。台中市に年間7000人の新居住者を呼び込み、産業の発展にも力を入れている。最近は、台湾中央の当局者のために、大陸中国への商業旅行を仲介している。


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