[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
6201-
6301-
6401-
6501-
6601-
6701-
6801-
6901-
7001-
7101-
7201-
7301-
7401-
7501-
7601-
7701-
7801-
7901-
8001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
大中華世界的話題
7443
:
チバQ
:2015/05/21(木) 22:07:45
◇体調悪化の少女、母は仕事失う
■5月2日(土)
カトマンズ最大級の避難所で自衛隊の医療援助活動を取材する。診療を待つ数十人の老若男女。入浴もできず、屋外にもかかわらず、すえた臭いが漂う。
少女が「頭が痛い」とうつむいていた。一家5人で避難所で生活し、風の吹き込むテントで体調を崩した。母が建設現場の土運びなどで生計を立てているが、地震で仕事もなくなったという。
「自己満足ではないか」と迷いながらも、ポケットの小銭を渡した。日本円で100円ほど。幼い妹の手を引く少女はにっこりと手を合わせた。後日、避難所で少女を探したが、姿はなかった。一家がどうしているか、今も気がかりだ。
◇食堂のそばで飢える被災者
■4日(月)
最大級の被害が出たネパール中部のシンドゥパルチョーク地区へ。カトマンズ市内から休憩を含め車で約3時間半。曲がりくねる山道をひたすら進む。ガードレールはなく、カーブでスリップすれば谷底へ真っ逆さまだ。
車窓からは、段々畑の中にレンガ造りの家が点在する美しい山々が見える。途中、車を降りては被災状況を尋ねる。この国では「ナマステー」(こんにちは)と両手を合わせれば、誰もがほほ笑み返し、丁寧に応じてくれる。村人は食事にさえ事欠くなか、あちこちを案内し、被災者を紹介してくれた。
地区の中心地チョータラは、民家や商店が軒並み崩れていながらも、何店かの食堂が営業していた。村人の紹介で、家の下敷きになり亡くなった女性の遺族に話を聞く。女性は、地震の3日前に三女を出産したばかり。最期はベッドで添い寝していた4歳の次女を守るように、四つんばいの姿勢で見つかったという。
涙を流す夫の傍らで無邪気にはしゃぐ幼い長女と次女。とうのかごには三女がすやすやと眠っていた。テント生活になった一家が救援物資として受け取ったのはビニールシート1枚だけ。食料もお金も底を突いた。
夫は「親戚にお金を借りてしのぐしかない」と言った。いたたまれず、姉妹にバッグにあったクッキーや板チョコを渡す。暑さで溶けかけたチョコを満面の笑みでなめる次女の姿が、私の3歳の長女に重なった。
取材前、私やネパール人のガイドが昼食をとった食堂から、わずか歩いて10分ほどの場所に、明日の食事さえ分からぬ家族がいることがショックだった。東日本大震災直後に取材した被災地では、飢える人々のそばで大勢の客が店で食事をするような現場はなかった。
村人に話を聞いていたガイドがぽつりと言った。「力のある人、声の大きい人が、たくさんの救援物資をもらっているようだ」。昼食をとったことが、無性に後ろめたかった。
◇余震におびえ、つっかえ棒
■8日(金)
街を歩くとあちこちで、住民が材木を切り出し、余震に備えて傾きかけた建物につっかえ棒をしている。日本なら街全体が立ち入り禁止になっているところだろう。今のネパールには、つっかえ棒が精いっぱいの対策だ。
カトマンズ周辺は日本の震度6弱〜5弱に相当する揺れだったとみられている。耐震化された日本の建物ならこれほどの被害は出なかったはずだ。だが、ネパールの庶民に耐震を考慮する余裕はない。レンガ造りの家の下敷きになって多くの人が命を落とした。「もし日本であれば、あのチョータラの子供たちの母親も助かったんじゃないか」。そんな思いにも駆られた。
人々は、外国から取材に訪れた私を気遣い、力を貸してくれた。「被災者の役に立とう」と意気込んでいた私は、逆にネパールの人たちに助けられ、学ばせてもらった。
帰国前日、カトマンズに長年暮らす日本人から「ネパール人を好きになって、また来てほしい。それが、観光が支えているこの国への何よりの復興支援になる」と言われた。私はネパール人が好きになった。もう一度、この国を訪れ、復興の行方を確かめたい。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板