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大中華世界的話題
6992
:
とはずがたり
:2015/02/10(火) 17:48:53
不振に陥った財閥から金融機関の管理下を経て国民に広く保有される形になるといいんだけど,ハゲタカが一括して買収した方が高値で売れちゃうかねぇ。。
韓国東部グループと銀行団の熾烈な綱引き続く
ポスコへの大型売却シナリオ崩れ、再建策は迷走
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41235
2014.07.16(水) 玉置 直司
韓国の中堅財閥、東部(トンブ)グループは、韓国産業銀行など取引金融機関と、2014年7月末までに満期が来るグループ企業の社債償還資金などの支援を受けることで合意した。東部グループと産業銀行などは再建問題を巡って昨年から熾烈な攻防を繰り広げている。当面の危機は回避したが、水面下ではさらに激しいやり取りが続いている。
「買収しないことを決めた」
2014年6月24日、韓国の鉄鋼最大手ポスコの権五俊(クォン・ノジュン=1950年生)会長は、就任100日の節目の記者会見で、こう切り出した。
「セット買収」を要請されたポスコ、価格で折り合えずに断念
権五俊会長は、3月に会長に就任すると同時に、難題を抱え込んだ。韓国の国策銀行である産業銀行から、東部製鉄の仁川工場と東部発電唐津(タンジン)を「セット買収」するよう強い要請を受けたのだ。
唐津発電は、有望事業ではある。セット買収は、案件としては悪い内容ではなかったが、何しろ価格が高すぎた。産業銀行は当初、1兆2000億〜1兆5000億ウォン(1円=10ウォン)での買収を打診したという。
権五俊会長は就任前から、前任の会長が進めた「多角化・拡大路線」の軌道修正を公言していた。相次ぐ大型M&A(合併・買収)で悪化していた財務体質を立て直し、「本業回帰」で強いポスコの復活を図ることを使命としており、1兆ウォンを超える買収はこうした方針とは合致しなかった。
一方の産業銀行も、簡単にはあきらめられない事情があった。「東部グループ再建」は産業銀行にとっての最重要課題だったのだ。
産業銀行とポスコとの間で3カ月以上も価格交渉が続いた。…韓国メディアによると、ポスコは5000億ウォン前後での買収を逆提案したが、9000億ウォン以上を求める産業銀行との差はあまりに大きかったという。
産業銀行は、東部製鉄を事実上債権銀行団の管理下に置くことを発表した。…ポスコへのセット売却が消えたことで市場で「製鉄会社の経営問題」が一気に広がることを防ぐための措置だった。
産業銀行は、さらに他の東部グループに対する支援でも合意した。市場で出ていた「東部グループの7月経営危機説」はとりあえず、食い止めたことになる。
いったい、この東部グループというのはどういうグループなのか。…東部グループの系列企業は64社で、資産額は17兆7890億ウォン。公企業を除いた財閥ランキングでは18位だ。
これだけの規模だから、産業銀行にとっても、大問題だった。
「中東進出ブーム」で大成功した東部グループ、一時は財閥大手10位前後に
東部グループは、創業オーナー会長が今も経営の先頭に立っている数少ない財閥だ。金俊起(キム・ジュンギ=1944年生)父親は、7回当選した有力国会議員で国会副議長まで務めた。ただ、本人は政治家には関心がなく、企業家の道を歩んだ。
米国視察で観光業の目覚ましい発展を見た金俊起会長は、レジャー、観光業を夢見た。しかし、すぐに許認可が出るはずもない。1969年にまず建設会社を設立した。この新興建設会社は、1970年代の「中東進出ブーム」で大成功する。
当時の朴正熙政権は…建設会社に中東進出を促したが、この「国策」に沿って大成功した企業の1つだった。このとき稼いだ資金で、損害保険や証券など金融業やシリコンウエハー生産など製造業に次々と進出した。
特に、自動車保険分野を手掛ける東部火災は、その後も一貫してグループの収益源となった。
IMF危機と呼ばれた韓国の通貨・経済危機を乗り切った東部グループはさらに急拡大を続ける。鉄鋼、半導体(システムLSI)、農業など事業領域を広げ、2000年前後には財閥ランキング10位前後にまで浮上した。
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