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大中華世界的話題

6913チバQ:2015/01/12(月) 14:21:08
 そもそも●(=登におおざと)小平氏は「一国二制度」を将来、悲願である台湾統一工作のカギと考え、先行的に香港で実験したといわれる。文化大革命が終結した後、改革開放路線にカジを切った中国で78年11月、●(=登におおざと)氏は台湾統一工作について「台湾の現状を尊重する」と述べて武力解放との従来の方針を改める意向を表明し、78年12月の党の重要会議で決定された。米中が国交正常化した79年1月、台湾との平和統一を目指す姿勢を示し、その後、82年に具体策として●(=登におおざと)氏が「一国二制度」を打ち出したのが始まりだ。

「一国二制度」の根本矛盾

 前後してスタートした英国との香港返還交渉において、中国側が「一国二制度」をいわば“流用”して提示したところ、英国側が同意した経緯がある。真偽は不明だが、その過程で米国が●(=登におおざと)氏の周辺に「一国二制度」のアイデアを具申したと考えている関係者もいる。

 だが、1つの国家に共産主義と民主主義の2つの社会を併存させる根本矛盾は実際、30年前に描いたシナリオ通りにはいかなかった。当時とは比べものにならない強大さを備えた中国の共産党政権が、東アジアの地政学的にみて、政治や経済のパワーによる現状変更が可能と考え始めている側面が大きい。

 一方、同じく「一国二制度」が適用されているマカオ。ポルトガルから1999年12月に返還されてから20日で15周年を迎える。中国は強大な経済パワーでカジノと観光業が中心のマカオを従属させている。習近平国家主席(61)は20日、マカオでの記念式典に参加する予定だ。近接する香港を横目で見ながら、「一国二制度」の“成功”を自画自賛することになりそうだ。

 英国をはじめとする国際社会が「一国二制度」の国際公約をどこまで中国に守らせることができるか。力を試されている。(上海 河崎真澄)


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