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大中華世界的話題
6114
:
とはずがたり
:2014/05/28(水) 19:41:25
掘削を実施した「中国海洋石油総公司」とは?
このような状況では、掘削の開始からベトナム船に体当たりで衝突するまでの中国側の一連の行動が果たして、中央指導部の指揮下におけるものであったのかどうか、という疑問が当然生じてくるのである。
ASEAN首脳会議の直前という中国にとって悪すぎるタイミングから考えても、それが東南アジア諸国の対中国結束を固めることになる結果からしても、あるいは衝突直後の中国外務省の混乱した対応ぶりからしても、掘削の断行は中央指導部の統一意志の下で行われた戦略的・計画的な行為であるとはとても思えないのである。
だとすれば、今回の断行は、掘削を実施した部門の個別的判断によるものであろうという可能性も出てくる。それならば、その関係部門は何の目的のために、中国にとって大変不利なタイミングで大きなトラブルとなるような判断を行ったのか、という疑問が浮上してくる。そうなるとここではまず、掘削を断行した張本人の中国海洋石油総公司という巨大国有企業に目を転じてみるべきであろう。
石油閥の正体と激しい権力闘争
ベトナムとの係争海域で今度の掘削を実施した中国海洋石油総公司。9万8000人以上の従業員を有するこの巨大企業は、中国国務院国有資産監督管理委員会直属の国有企業である。…
それはともかくとして、実は去年の夏から、まさにこの国務院国有資産監督管理委員会において、驚天動地の腐敗摘発が行われていたのである。2013年9月1日に国営新華社が伝えたところによると、中国共産党中央規律検査委員会は、国務院国有資産監督管理委員会の蒋潔敏主任に対し「重大な規律違反」の疑いで調査を始めた、というのである。
蒋氏は国有石油大手、中国石油天然気集団(CNPC)前会長で、2013年3月に国資委主任に転じたばかりだった。彼は共産党内では約200人しかいない中央委員も務めており、2012年11月の習指導部発足後、調査を受けた党幹部では最高位に当たる。
このような立場の蒋氏に対する汚職調査は当然、習近平政権が進めている「腐敗撲滅運動」の重要なる一環であろうが、ここで注目されているのは、石油畑出身の蒋潔敏氏の背後にある、「石油閥」という共産党政権内の一大勢力のことである。
中国でいう「石油閥」…の始祖は、1958年に中国の石油工業相に就任した余秋里氏である。
中国の建国に貢献した「第一世代の革命家」の一人である余氏は建国の父である毛沢東からの信頼が厚く、58年に石油工業相に就任してから、中国最大の大慶油田の開発を仕切って「中国石油工業の父」と呼ばれるようになった。その後も中国経済を取り仕切る国家計画委員会(国計委)主任や国家エネルギー委員会(国エネ委)の主任などを歴任した。共産党内で隠然たる力をもつ石油閥の形成はまさにこの余秋里氏からはじまる。
1999年に余氏が亡き後、彼の後を継いで石油閥の元締めとなったのは元国家副主席の曽慶紅氏である。2002年からは中国共産党政治局常務委員、03年から国家副主席を務めた曽慶紅氏は、元国家主席江沢民の懐刀として知られていて江沢民政権の要だった人物であるが、実はこの曽氏は江沢民の腹心となる以前、余秋里氏に仕えていた。
余氏が国計委主任を務めた時に同委の弁公庁秘書となり、余氏が国エネ委に移ると、曽氏も同委弁公庁に異動した。そして余氏はその後も中央顧問委員会常務委員などを歴任して実権を握っていたため、曽氏は余氏の「ご恩顧下」で石油省や中国海洋石油総公司(CNOOC)で出世した。
このような経歴から、余氏が死去した時、江沢民の腹心として政権の中枢にいる曽氏は当然、石油閥の次のボスとなった。そして曽氏自身が政治局常務委員・国家副主席となって権力の頂点に達すると、彼を中心にして石油閥は党内の一大勢力に伸し上がった。もちろん、石油閥総帥の曽氏は党内最大派閥の江沢民派(上海閥)の「番頭」的な存在でもあるから、石油閥はごく自然に江沢民派の傘下に入って江沢民勢力の一部となった。
そのとき…曽氏が抜擢してきたのが石油畑幹部の周永康氏である。周氏は中国の石油業界の「聖地」とされる大慶油田でキャリアをスタートして、その後、石油工業省次官、CNPC総経理、国土資源相などを歴任した。そして2002年に胡錦濤政権が発足するとき、政治局常務委員となった曽氏は周氏を政治局員に推挙した上で警察を司る公安部長に転任させた。2007年の共産党17回大会では、曽氏は自分の引退と引き換えにして周氏を政治局常務委員の地位に昇進させた。しかも政法部門(情報、治安、司法、検察、公安など)を統括する中央政法委員会書記という政治的に大変重要なポストに就かせた。
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