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大中華世界的話題

5280チバQ:2013/11/24(日) 19:38:49
http://mainichi.jp/shimen/news/20131101ddm007030094000c.html
闇の正体:ミャンマー宗教暴動/7 逃亡者押し戻す「母国」
毎日新聞 2013年11月01日 東京朝刊


ラカイン州の古都ミャウー郊外のロヒンギャ族の村にあるモスクで礼拝する村人たち
拡大写真 ミャンマー西部ラカイン州とバングラデシュの国境は河川で引かれている。「川幅が数メートルのところや柵が未設置の場所もあり、越境は難しくない」(州検察庁のフラテイン検事正)。行き来はベンガル湾の海路もある。

 かつて軍政が実施した「不法移民追放作戦」などにより、多くのベンガル系イスラム教徒(ロヒンギャ族)がバングラに逃れた。昨年6月以降の仏教徒ラカイン族との衝突後もだ。バングラのロヒンギャ人口は30万とも推計される。バングラデシュは「ベンガル人の国」という意味だが、大半は不法滞在者扱いだ。

 暴動後、バングラ当局は「流入したロヒンギャ族をミャンマー側に押し戻している」と非難を浴びる。ハシナ首相は会見で「私たちは彼らに対し一切責任を負っていない」と釈明。「バングラの人口が過剰で、負担に耐えられない」とも述べた。

 ラカイン族の元弁護士タープイン氏(62)は皮肉る。「彼ら(ロヒンギャ族)は本来の母国からも相手にされていない。これは人権侵害ではないのか?」と。ラカイン族が彼らを「母国」に押し返すのは、むしろ当然だとの思いがにじむ。

 ミャンマーのロヒンギャ族への基本的人権の侵害として、真っ先に挙がるのが「移動の制限」だ。バングラへの越境よりはるかに困難だと言われている。

 ラカイン州ミャウー郡区の古都ミャウー。中世の仏教遺跡が今に息づく。郊外にある人口約4000人のロヒンギャ族の村を訪ねた。ラカイン族の五つの村に囲まれるが、自警団が昼夜見張り、衝突は起きていない。

 「村から一歩も出られない。これが一番の問題です」。雑貨店を営む村の顔役クラシ氏(57)が口を開いた。「暴動前はミャウーにだけは自由に行けました。今はそれすらかなわない」。農作物を売りに出ることも生活必需品を買いに行くこともできないという。

 暴動前は、まずミャウーの役所に出向き移動許可証を得た。それがないと、先の交通機関の切符すら買えない。検問のチェックは厳しく、許可証がないのが発覚すると禁錮6月〜2年。さらに手続きや検問のたびにワイロを要求されたという。

 村に診療所はない。出産の際は助産師がいるが、緊急時や急病人が出た時も「今は薬品も底をついて対処のしようがない」と言う。ただ前後の言動から、悩みの種であるワイロが、いざという時は逆に生き抜くための処方箋になるようだ。

 州北端部マウンドー郡区。ロヒンギャ族が圧倒的多数を占める。太平洋戦争中、ラカイン族を虐殺して奪って以来のことらしい。旧軍政はこうした地域にくさびを打ち込もうと「モデル村」と呼ばれる仏教徒の村を次々建設した。全国から生活困窮者らを送り込んで土地を与えた。「ロヒンギャ族を追い出した土地」(国連)だと指摘されている。昨年来の暴動でロヒンギャ族が襲撃したのは、主にこうした村だった。【シットウェ春日孝之】=つづく


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