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大中華世界的話題

5004とはずがたり:2013/07/05(金) 09:05:42

なんか散漫な文章で中途半端であるが。。
土地の集約化は知れるけど生産は粗放的な土いじりなのか?上海郊外の一農村見ただけではなんとも云えないだろうが。
日本も土地値上がりで遊び暮らせる旧農民層が高度成長期の都市近郊に沢山出来た筈だがその後どうなったんかな?

第127回】 2013年6月7日
姫田小夏 [ジャーナリスト]
農地集約のインセンティブは「豪邸」
農業の大規模化で崩壊する中国の農村
http://diamond.jp/articles/-/37061

かつて農業大国と言われた中国だったが、現在、中国で進んでいるのは“農村の崩壊”だ。13億人の人口を抱える中国が、耕地の不足と食糧生産の不足にさらされていることは、中国が抱える最大の問題のひとつである。

一方で、着々と進んでいるのが、“農業の大規模化”である。農業の担い手にまとまった土地を提供するという農地集約は、日本と共通する課題でもある。日中の農業は、農地面積や生産規模、あるいは生産コストの違いこそあれ、農業人口の高齢化や担い手不足、また小規模な農家経営など、類似点も少なくない。今回は中国の農業の今をクローズアップする。

土地は私有から公有、さらに占有へ
共産党支配下の中国農業の歩み

まずは簡単に中国農業について、土地の権利関係という角度から見てみてみよう。中国の農業は1949年、建国当初の『土地改革法』により、地主階級が土地を支配する封建的土地所有制から、農民による土地の所有制に変わった。これにより、農民は土地を得るのみならず、「自由経営権、売買と賃貸の権利」を得ることができるようになった。

1950年代中頃になると、農民による土地の所有制は「集団所有」に変わった。さらに1957〜1978年にかけて人民公社、生産大隊、農村生産小隊による「公有制」となることで、農民は“社員”として生産と労働を求められる一方で、私有する権利が消滅した。

1978年、改革開放政策が幕開けすると、「集団による管理体制」の形態から、「各農家単位による生産および経営を管理」する形態となり、生産責任制のもとで土地の所有権と使用権が分離されることになる。

その後、2008年に『新土地改革法』が制定された。土地と家屋は「村の経済組織による集団所有」としながら、生産経営権を完全にするかたちで、「土地に対する占有・使用・収益等の権利を農民に認める」ようになる。

最近、筆者は江蘇省出身の友人から、中国農民の時代の変遷を物語るかのような、こんな笑い話を聞かされた。「江蘇省のある村で、“戸籍のない老人”が発見された」というのだ。
 老人は、こう言った。『戸籍があれば税金を取られるから』。『それは建国前の封建時代の話じゃないか』と、村では大笑いさ」
皮肉にもこの“無戸籍老人”が発見されたのは、今年、村民委員会が農民に手当を支給しようと、各農民に手続きを求めたときのことだった。時代も変わって、今では農民が手厚く保護されるようになったのだ。

今では「農民戸籍こそステイタスなのだ」と言い切る中国人もいる。上海の企業に勤務する江西省出身の男性(38歳)は「都市戸籍になると、農村戸籍を手放さなければならない。都市戸籍になれば、社会保障体系も変わり“市民”になることができる。だが、農村戸籍は『新土地改革法』のお陰で、これから価値が上がるだろう。だから私はこのままでいい」と話す。

他方、2011年末、農村から流出する農業労働力は2億5300万人にも達した。沿海部へは1億0790万人が、中国内陸へは1億4488万人が移動する一方で、2011年、中国のGDPに占める農業生産の割合は10.12%と、歴史上最低点に達した。迷わず農村戸籍を捨ててきた(←棄てたくても都市戸籍が取れないのでは?)のがその歴史であり、そこには依然として「都市と農村の収入格差」が存在していた。


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