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大中華世界的話題
4651
:
チバQ
:2013/03/17(日) 22:52:15
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130316/chn13031618360002-n1.htm
中国新内閣が発足 新外相に元駐日大使の王毅氏
2013.3.16 18:34 [中国]
元駐日大使を務め、外務省のエースといわれる王毅氏が外相に決まった。知日派ゆえに、日本に対して厳しい態度を取らざるを得ないとみられる=6日、北京(共同)
【北京=川越一】中国の全国人民代表大会(全人代=国会)は16日、北京の人民大会堂で全体会議を開き、李克強新首相(57)が提出した組閣名簿を承認し、副首相(4人)、国務委員(5人)、閣僚、人民銀行(中央銀行)総裁ら新政府の顔ぶれが決まった。
新外相には駐日大使を務めた王毅国務院台湾事務弁公室主任(59)が就任。日本語が堪能で日本政界とも通じる知日派だが、逆に国内で「親日派」とみられることは痛手となる。外交担当の国務委員に、外相として対日強硬発言を繰り返した楊(よう)潔(けつ)●(=簾の广を厂に、兼を虎に)(ち)氏(62)が就いたこともあり、沖縄県・尖閣諸島をめぐって悪化した日中関係の早期改善は難しそうだ。
副首相には張高麗共産党政治局常務委員(66)のほか、李首相と同じ共産主義青年団(共青団)出身で、広東省トップ時代に「改革は党と政府のあり方にメスを入れることから始まらなければならない」と述べた改革派の汪洋政治局員(58)らが就任した。
また、人民銀行総裁は、「ミスター人民元」として10年間総裁を務めてきた周小川氏(65)の、異例の続投が認められた。
全人代は17日に閉幕。閉幕後、李首相が記者会見で今後の方針を示す。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130316/chn13031620340003-n1.htm
日中関係の危機を二度処理 中国外相に任命された王毅氏 豊富な経験も能力発揮は未知数
2013.3.16 20:32 [中国]
【北京=矢板明夫】中国の外相に任命された王毅氏は、屈指の「日本通」として知られる。北京市出身。文化大革命中に中学を卒業し、旧ソ連と国境を接する黒竜江省黒河に下放され、8年間も重労働に従事し不遇な青春時代を過ごした。
北京第二外国語学院大学の日本語学科に入学したのは24歳の時で、年齢のハンディを克服するため、同級生より早起きし校内を散歩しながら大きな声で日本語の発音練習をした努力家だったと当時を知る関係者は言う。
日本史に興味を持ち、本気で研究者を目指した時期があり、若くして学術雑誌で「大化の改新」についての論文を発表したこともあった。洗練された文章が書ける名文家としても知られ、外務省入省2年目で、胡耀邦総書記(当時)の訪日スピーチ原稿の執筆者に抜擢(ばつてき)されたことが有名だ。
約30年の外交官生活で、担当者として日中関係の危機を処理したことが2度あった。1989年9月、駐東京大使館参事官として日本に初赴任したときは、北京で民主化デモが弾圧された天安門事件の直後。日本は国際社会と歩調を合わせ中国に経済制裁を加え、日中貿易も中断した状態だった。2004年に駐日大使として再び赴任したが、小泉純一郎首相(当時)による靖国神社参拝に中国が猛反発し、両国関係が冷え切っていた。2回とも関係回復に手腕を発揮した。
4年前から外交の現場を離れ、台湾問題担当閣僚となった。沖縄・尖閣問題をめぐる日中の対立が深刻化するなか、古巣に戻り外相に起用された背景には、豊富な経験と日本人脈を生かし両国関係を回復させたい党内改革派の期待があった。しかし、外交路線をめぐり、指導部内で強硬派と協調派が激しく主導権を争うなか、どこまで力を発揮できるかは未知数だ。
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