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大中華世界的話題

4304チバQ:2012/11/21(水) 22:56:28
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121120/chn12112007040003-n1.htm
【習近平研究】
(4)謎多き最高指導者 実績もなく選ばれた男
2012.11.20 07:01 (1/3ページ)[中国]

1980年代後半の新婚当時の習近平夫妻 (習氏関係者提供)
 北京市中心部の高級中華料理店の個室。中国共産党の習近平総書記(59)が誕生してから2日後の17日の夜、40代の党中堅幹部3人が杯を重ねていた。この日の宴席の“主菜”は、発表されたばかりの党中央人事だった。

 テーブルに並ぶ上海ガニやアワビの蒸し焼きを頬張りながら話す声が、次第に大きくなっていった。「陳希が中央委員になったことが、一番のサプライズだったね」。一人がそう言うと、皆がうなずいた。

 今回、党の指導機関と位置づけられる中央委員会のメンバーに当選したのは205人。政府の閣僚、各省の書記、省長らと一緒に名簿に名を連ねた陳希氏(59)は、科学技術省の外郭団体である科学技術協会の副主席にすぎないのだ。

 この“大出世”について、ある幹部が「新総書記の意向が反映された人事だろう」「10年前に博士号をくれたお礼じゃないのか」と言って、笑いを誘った。

 習氏は福建省長だった2002年に、名門、清華大学の法学博士号を取得している。省長として多忙な日々を過ごす習氏が、千キロ以上離れた北京の大学で授業を受けられるはずもなく、香港メディアなどが「学生時代、化学を学んだ習氏がわずか3年余りで法律の論文を書き上げるのは不自然だ」と疑問の声を上げた。

 中国の指導者の間では、地位を利用して高学歴を手に入れるケースも多い。陳希氏は当時、大学の最高責任者である清華大党委員会書記を務めていた。

 習氏の学歴詐称疑惑に関する情報は今、インターネット上で遮断されている。

 学歴だけではない。習氏ほど、さまざまなコンプレックスを抱いてきた中国指導者も珍しいだろう。

 習氏の知人によれば、習氏は若い頃から「習仲勲の息子」と紹介されることを最も嫌がっていた。

 習仲勲氏(1913〜2002年)は副首相まで務めた政治家だ。文化大革命時代は、失脚した父親のせいで地方への下放も味わった習氏だったが、父親が復権した後は「習仲勲の息子」というだけで出世していったのも事実。やはり習氏にとって父親は頭の上がらない偉大な存在だった。

 そして、再婚相手の彭麗媛夫人(50)。人民解放軍所属の国民的人気歌手だ。1990年代以降、習氏は地方指導者としてそれなりの地位を得たものの、「彭麗媛の旦那」と呼ばれることが多かったという。

                  □ □

 「習氏は“他人の関係者”として生きてきた。自分を取り戻したのは国家副主席になった54歳からだ」

 習氏の知人はこう指摘する。しかし習氏がポスト胡錦濤の国家副主席に選ばれたのは、温厚で敵を作らない性格、さらには父親が元党幹部という“赤い子孫”であることが、江沢民元総書記ら長老に都合がよかったためだ。自分で自分を取り戻したわけではない。

 政治家としての実績も目立ったものがない。習氏が地方指導者として約17年過ごした福建省は、広東省に経済発展で水をあけられた。その後、指揮を執った浙江省と上海市でも業績と呼べるものは残していない。行く先々で、大きな汚職事件さえ起きている。

 15日に行われた習氏ら党最高指導部7人の記者会見。「隣に並ぶ6人の男たちは実績も能力も習近平を上回っている。ちゃんとかじ取りができるのか−」

 老幹部が漏らした言葉は、習氏を知る誰もが抱く懸念でもある。(矢板明夫)


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