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大中華世界的話題

4118チバQ:2012/10/16(火) 22:38:01
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121016/asi12101600380000-n1.htm
カンボジアの現代史を体現
2012.10.16 00:34 (1/2ページ)

1993年9月、カンボジアに帰国し、空港で市民の出迎えを受けるシアヌーク殿下(共同)
 【シンガポール=青木伸行】「カンボジアはシアヌークそのものだ」と言われる。フランスからの独立、クーデター、内戦、ポル・ポト政権下における暗黒の時代、そして和平と再生…。彼の生涯はまさに、激動のカンボジア現代史を体現している。

 シアヌーク前国王が即位したのは1941年。前国王は「王の十字軍運動」と称してフランス、米国などを歴訪し、フランスとの交渉や、国際社会への働きかけに尽力した。その末に完全独立を果たしたのが、53年11月のことだ。

 前国王が国家元首に就任して以降の60年代初頭、カンボジアは近隣諸国が政情不安な中にあって、「平和の島」と言われ、現在でも「サンクム・チャ」(旧社会)といえば、この時代を指す。東西冷戦構造のまっただ中にあって、前国王は中立政策をとり、東西両陣営から援助を引き出した。その後、反米、中国へと傾斜していく。

 カンボジアは65年以降、隣国のベトナムで燃えさかるベトナム戦争の戦火に引きずり込まれていった。ベトナム戦争における米軍の空爆はやがて、カンボジア領内におよび、国内では左派の勢力が台頭し、後に「ポル・ポト」と名乗るサロト・サルも活動を始める。シアヌーク前国王は、この勢力を「クメール・ルージュ」(赤いクメール)と呼び軽蔑した。

 70年代、東西冷戦がデタント(緊張緩和)の時代にあって、カンボジアの政治体制は、70年のクーデターによる親米のロン・ノル政権、75年からのポル・ポト政権、79年からのベトナム指導型の社会主義政権であるヘン・サムリン政権と、大きく動いた。

 とりわけ、共産主義社会を急進的に建設しようとしたポル・ポト政権時代は、鎖国状態にあり宗教、伝統文化、学校教育などあらゆるものが根本から否定、破壊され、国民が大量に虐殺された「暗黒の時代」と言われている。

 ロン・ノル将軍にクーデターで国を追われたシアヌーク前国王は、北京で「カンボジア民族統一戦線」を結成し、「反ロン・ノル」を掲げポル・ポト派と手を結んだ。それもポル・ポト政権が誕生すると幽閉され、彼の子供たちなどは虐殺されている。また、親ベトナムのヘン・サムリン政権に対抗しポル・ポト派と再び組み、ソン・サン派と3派連合政府も樹立した。

 シアヌーク前国王がポル・ポト派を軽蔑し、またその犠牲者でありながら彼らの側に立ったことは、カンボジア現代史の大きな矛盾の一つといえるだろう。


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