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大中華世界的話題

3679チバQ:2012/07/04(水) 21:29:47
 潘事務総長は国会議員に演説を行った後、ヤンゴンへ引き返した。2009年に当時の政権が面会を認めなかったアウン・サン・スー・チー氏と初めて会談するためだ。

 会談に備えて私はピーター・ポップハムが著したアウン・サン・スー・チー氏の伝記「The Lady and the Peacock」を貪(むさぼ)るように読んだ。ノーベル平和賞受賞者であるスー・チー氏は英オックスフォード大学で学んだが、卒業成績は私と同じサードクラスオーナー(下から2番目)だった。その後ニューヨークに渡り、同郷のウ・タント事務総長率いる国連事務局に数年勤めるが、就いたのは下級職だった。こうした経歴を知ると、現役の民主主義のアイコン(象徴)がいくぶん身近な存在に思えた。

 ◆経済発展の道筋

 だが、ミャンマーで最も崇拝されている「ザ・レディー」から数メートルと離れていない場所に立つと、どれだけ心づもりをしても何の役にも立たなかった。15年間軟禁されていた湖畔の白い自宅は老朽化が目立つ部分もあったが、彼女と同様、高貴なたたずまいを自然と宿していた。

 きゃしゃに見える66歳のスー・チー氏からは不屈の精神が静かににじみ出ていた。スー・チー氏率いる野党(国民民主連盟)は長年政治の荒波にもまれてきた。だが今後直面する最大の課題は、民主化を声高に叫ぶだけでなく、具体的に経済政策を立案することである。

 改革路線がこれだけ話題にのぼる一方で、ミャンマーの国民が抱える日常のフラストレーションも容易に理解できた。2日にわたりさまざまな市民に取材を行ったが、共通する不満は近代的な経済を構築する基盤が欠けている点であった。ミャンマーには道路や電気、学校、病院、果ては水道さえも十分に整っていない。

 西側が課した経済制裁や渡航禁止による犠牲を強いられたのは、標的とされた軍事政府の指導者ではなく市井の労働者だったのだ。自国の歴史に新たな章を刻み始めたばかりのこの国は、その豊かな遺産を見失うことなく、新しい経済発展に向けて独自の道筋を見いだしていかねばなるまい。

 最終日、私は携帯電話を無くしてしまった。ミャンマー人の通訳が場所を突き止めるために私の携帯番号に電話をかけてみると申し出た。ニューヨークに住み慣れている私は、(出てくるはずがないから)その必要はないと言ったが、彼は取りあえずかけてみた。

 私は間違っていた。一人のタクシー運転手が1時間かけてわざわざ届けに来てくれたのだ。この一件は、資源だけでなく希望にも満ちた国では、欧米流の冷ややかな私の見方が間違っていることをミャンマー人気質が証明してみせる一例となるかもしれない。(ブルームバーグ Flavia  Krause−Jackson)


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