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大中華世界的話題

3387チバQ:2012/04/25(水) 22:48:47
 演説は祖父にはるか及ばないものの、正恩氏は両サイドを刈り上げる髪形やファッションなどが祖父譲り。巨体を揺すり、右手を上げるしぐさも似ている。身長は170センチ前後で、祖父より5センチほど低い。金ファミリーのそばにいた元料理人、藤本健二さんが明かす。「正恩大将は太りましたが、声は昔のまま。背丈は気にしていて、5センチほど高く見せる中敷きを靴に入れていました。祖父を尊敬し、呼び方はいつもテーウォンスニム(大元帥さま)でした」

 「あれは撃ったか?」「いいぞ、いいぞ」。15日の軍事パレードで、正恩氏は新型ミサイル隊列を見ながらご満悦だった。すぐ隣で白い軍服でかしこまって説明していたのが、スピード出世した崔竜海(チェリョンヘ)人民軍総政治局長。旧満州(現中国東北部)の広野で金主席と抗日パルチザン闘争を戦った戦友、かの国の誰もが知る革命のヒーロー、崔賢(チェヒョン)の息子である。脇役まで祖父にならっているのに驚く。崔竜海も60歳を超え、戦友というには無理がある。そもそもスイス留学帰りの坊ちゃんと革命エリートの子弟、2人がミサイル発射のボタンを握っているのが恐ろしいではないか。

 このところ、平壌のメディアに「革命遺産」なる言葉がしきりに躍っている。ミサイルと核のふたつである。抗日パルチザン時代の有名な逸話がある。金主席の母が革命家だった夫の遺産である2丁の拳銃を息子に与える。その拳銃を手に主席は武器獲得闘争の先頭に立ち、32年4月25日に結成したのが「抗日遊撃隊」、つまり人民軍の前身であった。拳銃は朝鮮戦争のころ、革命のバトンとして息子の正日氏に渡される。さらに正恩氏に渡ったかどうかは不明だが、核とミサイルはしっかり受け継いだらしい。核実験のうわさが絶えない。

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