したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

大中華世界的話題

3140チバQ:2012/02/21(火) 12:42:26
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2012/02/21/20120221ddm007030039000c.html
ルポ・未知なるミャンマー:土産物屋に並ぶ日本占領下の「軍票」 紙幣、何度も無価値に

太平洋戦争中、日英両軍の戦闘で焼失し、復元された古都マンダレーの旧王宮。広大な敷地には現在、国軍部隊が駐留する ◇国民の不満高じ、政権崩壊
 旧都ヤンゴン中心街に、「独立の父」アウンサン将軍にちなんだミャンマー最大の市場「ボージョーアウンサン・マーケット」がある。英植民地時代の1926年に建築され、当時はスコット・マーケットと呼ばれた。

 外国人目当ての土産物屋が目立つ。私が気になったのは、そんな軒先に並ぶ紙幣だった。太平洋戦争中、日本軍がこの地から英国を追い出し、流通させた日本の現地貨幣「軍票」もある。

 日本は当時、アジア太平洋の占領地でそれぞれ違った軍票を発行し、経済も支配した。当時のビルマの軍票は、主にパゴダ(仏塔)を表面にデザインした計8券種あり、今は市場でセット価格5ドル(約400円)程度で売られていた。


ウティさん 古都マンダレーで日本軍の通訳だったというウティさんと知り合った。一寸法師や牛若丸など、日本の昔話を題材にした通訳養成用の読本を見せてくれ、達者な日本語で言った。「部隊ごとに印刷機があり、まるで日本の昔話にある『打ち出の小づち』でした。私たちの給料も、この軍票で支払われました」

 「建軍の父」でもあるアウンサン将軍は、日本軍とゆかりがある。英国の放逐を目指した日本の特務機関が、ビルマ独立義勇軍(のちの国軍)の結成を支援した。彼はそのリーダーで、日本の軍事訓練を受け、日本にも滞在し、日本名「面田(おもた)紋次」を名乗った。ビルマの漢字表記「緬甸」にちなんだようだ。

 だが、日本軍の形勢悪化に伴い、「真の独立」を志向するアウンサン将軍は日本軍に反旗を翻す。軍票は、乱発でインフレを加速させ、結局、日本軍の撤退とともに文字通りの紙くずとなった。

 ウティさんは言う。「戦後、日本から遺骨収集団や慰霊団がたくさん来ました。手元に(無価値になった)軍票がいっぱいありましたから、お土産にあげましたよ」

 ビルマ戦線では十数万の日本兵が戦死した。「兵隊さん、最後は食べ物なくてね、可哀そうだった」。そう語るウティさんは、同胞の惨禍には触れることなく、別れ際にこんな歌詞を口ずさんだ。

 「ニンゲン一度は死ぬるもの/同じ死ぬなら国のため/アジアの平和のため/何で命が惜しかろう/命をかけて戦おう」。私の頭の中で、戦禍で散った多くの命と、紙くずと化した軍票がオーバーラップした。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板