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大中華世界的話題

3100チバQ:2012/02/07(火) 12:29:58
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2012/02/07/20120207ddm007030102000c.html
ルポ・未知なるミャンマー:「建国の父」暗殺、謎のまま 現場の旧総督府荒れ放題
 ◇「歴史や過去」執着なく
 ミャンマー現代史には多くの謎がある。その一つが、民主化運動指導者アウンサンスーチー氏の父で、「建国の父」と呼ばれるアウンサン将軍の死だ。当時のビルマが英国から独立する前年の1947年に暗殺された。

 政敵に葬られたとされるが、背後に英国の影がちらつく。当時は東西冷戦が幕開けしたばかりの時期だ。社会主義を志向したアウンサン将軍を西側陣営の英国が排除したとしても不思議はない。だが、歴史家も認める「ミャンマー史上最大のミステリー」を、この国の歴代政権が突き詰めようとしたフシはない。

 暗殺現場を見に行った。旧都ヤンゴンの中心部に英国植民地時代の総督府が残っている。建築は19世紀末。大英帝国の威信を誇るかのような、ビクトリア様式の重厚な赤レンガ造り。だが、レンガは色あせ、ガラス窓の多くが割れている。空爆でも受けたように、ところどころで天井さえも喪失している。

 広大な敷地を囲む金網越しに、ガイドが「あの辺りです」と2階の部屋を指さした。会議をしていたアウンサン将軍ら要人が、押し入った武装集団の銃弾に倒れた場所だ。

 正門横の警備の詰め所で若い制服姿の男に「入りたい」と言うと、首を横に振った。「写真は?」と聞いても首を振る。「どうして?」とただすと、「知らない」と答えた。

 敷地にある井戸の傍らに洗濯物が干してあり、上半身裸の男が水浴びしている。近くにパトカーが止まっていた。「警察が一部を宿舎として利用している」と後で聞いた。

 この国の何人もの知識人が「ミャンマー人は歴史や過去にこだわらない」と漏らしていた。暗殺事件の真相を本気で究明しようとすれば「英国の陰謀」に触れざるを得なくなる。「独立への支障をおもんばかり放置した」との見方もあるが、それを差し引いても、荒れるに任せた旧総督府を見れば「歴史」へのこだわりは希薄だ。

 ミャンマーにはユネスコ登録の世界遺産が一つもない。ユネスコは97年、当時の軍政の推薦で中部パガンの仏教遺跡の登録について審議をしたが、遺跡の普遍的価値は認めつつ、退けた。パガンは3000もの仏塔が林立する上座部仏教の聖地だ。カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールと並ぶ世界三大仏教遺跡であるにもかかわらず、である。

 「民主化勢力を弾圧する軍政への圧力もしくは嫌がらせでは?」。そんな見方に対し、外交筋はこう指摘する。「遺跡区域にゴルフ場や道路を無造作に造り、遺跡の修復に新建材を使うなど、貴重な遺産をそのまま後代に引き継ぐに足る真摯(しんし)な姿勢に欠けると判定されたようです」

 長く国を閉ざしてきたことで、歴史的建造物や遺跡の保存をめぐり、グローバルスタンダード(国際標準)に疎かったという面もあるのだろう。

 最近の急速な開放政策の中で、旧総督府を修復して博物館にする構想が浮上しているという。パガン遺跡は修復や保存で国際支援も期待でき、世界遺産への登録は時間の問題となるに違いない。

 ただ、ミャンマーの辺境を何度も訪れ、密林を移動しながら少数民族の暮らしや文化に接してきた冒険作家の高野秀行氏は「軍政が国を閉ざしたがゆえに貴重な自然や文化が残されたんです」と話す。軍政と少数民族の対立もあり、とりわけ広大な少数民族地域が外部から隔絶された。

 国を開くことで、少数民族のみならずミャンマーの伝統文化は多様性から均質化に向かいかねない。グローバルスタンダードへの平準化もしかりだ。

 高野氏は、軍政時代を日本の伝統文化を育んだ江戸時代に見立て、こうも言う。「物事にはさまざまな側面があり、軍政期が『悪』だったかは、100年単位で振り返らないと分からない」と。


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