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大中華世界的話題

3077チバQ:2012/01/30(月) 22:56:21
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120130/asi12013008090001-n1.htm
ミャンマー 進む民主化・開放路線
2012.1.30 08:05 (1/5ページ)

昨年8月19日、ミャンマー国営テレビが報じたテイン・セイン大統領(右)と初会談したアウン・サン・スー・チーさん。この会談からミャンマーの民主化政策が国際社会で注目され始めた(AP)

政権・野党 これからが正念場


 16年ぶりに訪れたミャンマーはまるで別の国のようだった。テイン・セイン政権と民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんら野党勢力との対話や改革が進む一方、日米欧など各国首脳も次々訪れる。民主化・開放路線にもう後戻りはないのか。欧米は制裁を解除するのか。そして日本の対応は−。





 大型ショッピングセンター、まばゆいネオン、激しい交通量。町は活気に満ち、16年前の、静まり返った道路にロンジー(民族衣装の巻きスカート)姿の人々の草履の音だけがヒタヒタと響く、郷愁誘うヤンゴンはもうなかった。

 新聞やポスター、カレンダーなどに溢(あふ)れるスー・チーさんのカラー写真も町に華やぎを与えている。

 人々の会話に「シビル・ソサエティー(市民社会)」とか「人権」など、軍政時代なら禁句だった言葉が頻繁に登場し、現政権への期待が大きいことにも正直、驚いた。

 「テイン・セイン政権が中国とのダム建設を中止したのは大歓迎。(ダム反対の)国民の声を聴く政権が初めて登場した。いま、女性と児童の権利を守るよう大統領府への要望書を提出準備中よ」と、NGO(非政府組織)で働く若い女性は意気込んだ。

 「政府も国民も民主化を急ぎすぎていないか少し心配」(元外交官)といった慎重な声はある。しかしネ・ウィン体制も含めれば、半世紀近くも閉鎖的な軍事独裁下で生きてきた大半の国民にとって、初めて前途に希望が持てそうな時代が訪れているのだろう。


□   □


 2005年、タン・シュエ前政権は突如、ヤンゴンの北320キロにあるネピドーへの首都移転を発表し、世界を驚かせた。

 昨年12月、日本財団によるミャンマー支援事業を取材するためその首都を初めて訪れ、当時の軍事政権が移転にかけた並々ならぬ覚悟を知る思いがした。道路は滑走路のように広く、国会は重厚長大、大統領府は要塞のよう。そしていまはホテル建設がブームだ。

 テイン・セイン大統領は、笹川陽平日本財団会長による公務員などの人材育成支援の提案に即賛同するとともに、農業支援や投資などへの日本の協力と参加にも期待を示した。

 しかし「お国を正確に知ってもらうため、再来年あたり(マスコミの)支局を開設するというのはどうですか」と水を向けたのには、「政権ができてまだ8カ月。(マスコミ関連の)法律の整備を急いでいるが、反対勢力もいる」と一転、慎重な姿勢に終始した。

 内外の予想を上回るテンポで民主化を進める同大統領だが、保守派は軍部にも政権内にもいるとされる。いわば民主化勢力と保守派との間で段階的前進を模索している。軍政でナンバー4だった同大統領は後継候補1位でもなかった。

 改革派のキン・ニュン元首相が逮捕・失脚したのは絶頂期の04年だ。大統領職は一歩間違えば倒すか倒されるかである。「反対勢力」が具体的に何を指すかは分からないが、用心深さに改革派大統領のもう一つの顔が見えるようだった。


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