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大中華世界的話題

2956チバQ:2011/12/31(土) 14:31:03
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111231/kor11123100170000-n1.htm
金正恩体制のキーマン李英浩総参謀長“軍事の家庭教師”内紛の火種か
2011.12.31 00:10 (1/3ページ)[北朝鮮]

常に金正恩氏(右端)の隣に立つ李英浩氏(右から2番目)。叔父で後見人の張成沢氏(左端)は立ち位置に距離がある(ロイター)
 北朝鮮の金正日総書記の葬儀と追悼大会を通じ、新指導者、正恩氏の真横に立った李英浩・朝鮮人民軍総参謀長(69)が正恩体制の命運を握る軍の権力を掌握したことが確認された。李氏は「軍事の家庭教師」の異名をとり、韓国砲撃事件を主導したとされる。正恩氏の叔父で後見人の張成沢・国防委員会副委員長(65)の右腕として異例の昇進を果たしたが、軍内には反発が強く、抗争と対外挑発の火だねになるとの見方が浮上している。

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 28日の金総書記の葬儀・告別式で朝鮮中央テレビは、17年前の金日成主席の葬儀では見られなかった光景を映し出した。

 霊柩車の右側先頭で車に手を添え歩く正恩氏。左側先頭に立ったのが李総参謀長だった。軍が正恩体制最大の“守護神”であり、李総参謀長がその実権者であることを印象づけた。

 29日の追悼大会では、ひな壇で正恩氏の右隣に立った李総参謀長。昇進からして象徴的だった。正恩後継が内定した直後の2009年2月、総参謀長に抜擢(ばってき)された。正恩氏が公の場に初登場した昨年9月、正恩氏と同じ朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に就任。最年少で次帥にも昇格した。

 配下に、正恩氏が熱中したバスケットボールの元コーチがいてもともと近い関係にあったが、朝鮮半島情報筋は「李氏は張氏と親しく、右腕として見込まれたことが大きい」とみる。張氏が序列を無視し強引に軍首脳にすえたというのだ。

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 「ソウルを火の海にする」。李総参謀長は昨年6月、韓国軍の対北宣伝放送の再開にこう警告した。まるでそれを実践するかのように半年後、延坪島砲撃事件が起きた。

 韓国軍は、実行者は2年前に総参謀長から西部地区の軍団長に降格された金格植氏だとしながらも、「背後に李総参謀長が関与している」と分析した。

 「砲撃」は李総参謀長のキーワードなのだ。元軍幹部の脱北者らは李総参謀長について、「砲撃に関し天才的な指揮官」「あらゆる砲に詳しく、執務室に砲兵の書物があふれていた」と韓国紙に証言している。

 韓国では「正恩氏に進言し、正恩名で砲撃を命じたのが李総参謀長だ」との見方が有力だ。

 「大学で砲兵を学んだ砲撃の天才」。北朝鮮は正恩氏をこう宣伝しているが、これは、李総参謀長が正恩氏の軍事面の後ろ盾であることを暗示している。

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 今回の葬儀で専門家らは1人の軍長老に注目した。金総書記の最側近で1983年のビルマ(現ミャンマー)爆破テロを指揮したとされる呉克烈氏(80)が序列上位に“復権”したのだ。

 呉氏は正恩氏が公式登場した際、党の重要ポストから外れていた。

 この復権劇について、北朝鮮の動向に詳しい李英和関西大教授は、内部情報をもとに「張氏や李氏が実権を握ったからといって、軍に強い影響力のある長老を完全には排除できなかった」と分析。延坪島砲撃については、「落下傘のようにいきなり軍の頂点に降り立った李氏の人事に軍部内の反発が強く、批判をそらすためにより強攻策に出た」との見方を示す。

 一方、「李氏は野心が強く、他人の“右腕”で甘んじているような男ではない」との軍内の情報もある。

 「李氏は軍の不満を鎮めるため、日本や韓国に対しいっそう強硬に出る恐れもある。親族と軍という『車の両輪』として正恩体制を支える張氏と李氏だが、早晩、衝突するのではないか」と李教授はみている。

(桜井紀雄)


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