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大中華世界的話題

2858チバQ:2011/12/15(木) 12:28:48
◇英雄チャーチルも支援拒否
 旧都ヤンゴンで知り合ったウテタンさん(86)は独立(1948年)直後の政権で国家計画省の高官だった。コメを巡るこんな話を紹介してくれた。

 「この国は第二次大戦まで(同じ英領下の)インドに年100万トンのコメを輸出していたが、戦争で止まり、インド人300万人が餓死したんです」。歴史に埋もれた「ベンガル飢饉(ききん)」だという。

 私は東大の高橋昭雄教授(ミャンマー農村経済)から当時のミャンマーのコメ事情を聴いていた。日本の占領下、「日本兵が(使役の)牛を食用にしたことで生産量はガタ落ちしたが、それでもコメには困らなかった」と。それは輸出用が滞ったからでもあったのだ。このとばっちりで、第二次大戦下の日本人の犠牲者(民間人も含む)に匹敵するインド人が死んだ。

 インド出身の女性ジャーナリストが昨年、ベンガル飢饉の原因を調査した本を米国で出版した。「当時のチャーチル英首相がインドに対する米国などのコメ支援を拒んだからだ」という内容だ。

 チャーチルのインド人への人種的な嫌悪が背景にあったといい、側近に「インド人はウサギのように繁殖するから飢えるんだ」とさげすんだという。西欧で英雄視されるチャーチルだが、この本は「これまで無視されてきた彼の別の側面を暴いた」(米タイム誌)などと米欧メディアで評判になり、ナチスドイツのヒトラーになぞらえる論評もあった。

 ただ、著者の女性ジャーナリストは飢餓の原因を日本軍にも求める。「そもそも(ミャンマーに)侵攻しなければ……」というわけだ。

 茶店で男性の話を聞いているうちに雨は小降りになった。別れ際に「楽しみは?」と聞くと、困惑した顔で「何もない」と漏らし、すぐに「パゴダ(仏塔)参りかな」と言い直した。

 ミャンマーの仏教徒は自らの不幸や災難の理由を「前世の行い」に求める傾向が強い。因果応報の思想だが、為政者にとっては、何ともありがたい。【パテインとヤンゴンで春日孝之】(随時掲載します)

毎日新聞 2011年12月15日 東京朝刊


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