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大中華世界的話題

2857チバQ:2011/12/15(木) 12:28:21
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/12/15/20111215ddm007030150000c.html
ルポ・未知なるミャンマー:08年サイクロン、外国の援助拒む 「軍政は悪」決定付け
 ◇コメどころ、苦難続き
 ミャンマー西部のイラワジ川流域に広がるデルタ地帯は、世界でも有数のコメ産地である。夕刻、その中心地パテインに到着したら、スコールに見舞われた。駆け込んだ茶店の軒に腰を掛け、一息つく。雨脚は激しくなるばかりで、往来する人も車もかすむ。

 私はこんな雨景色が好きだ。安全地帯に身を置いた安堵(あんど)感。しかも、何もしない(できない)言い訳を得られるからか、安らぐ。

 そんな話をガイドに向けると、「そうですか……」と返事に覇気がない。「私は3年半前にここに来て、地獄を見ましたから」と言葉を継いだ。

 08年5月のサイクロン・ナルギスのことだ。死者・行方不明は推定14万人。当時の軍政は被災直後から3週間にわたり国際社会の人的な緊急支援の受け入れを拒否し、この間に被害は拡大した。

 「救援隊に民主化運動を扇動する外国人が紛れ込むのを恐れたからですよ。間もなく中国で四川大地震が起き、外国救援隊が続々と入るのを見て考え直したんです」。ガイドは救援隊受け入れに転じた理由をそう推測する。

 「ミャンマー軍政すなわち悪」。そんな印象を国際社会に決定づけた人命軽視の対応だった。外国救援隊の通訳として被災地に入ったという私のガイドを含め、国民の軍政嫌いに拍車をかけた。

 茶店に一人、雨宿りらしき年配の男性がいた。「近くの村から診療所に来ました。肺が悪いので」と言った。息子と娘の3人暮らし。農民だ。話題はすぐにナルギスに移った。

 男性の村では死者は出なかったが、彼のニッパヤシ作りの家は吹き飛ばされた。調理道具や寝具など一切を失い、その後1年余りを救援物資で食いつないだ。15エーカーの田んぼの3分の2が海水につかり、水が引いた後にカニと貝が残った。「新芽が出てもカニに切られたから、最近までほとんど収穫にならなかった」と苦笑いした。

 ただ「一番大切な財産」は無事だったという。使役用の水牛7頭だ。今は14頭に増えた。日本円で1頭約3万円で売れるというから、公務員の月給が1万円ほどのこの国ではかなりの資産になる。

 資産といえば、都市部の人はゴールドや宝石に目が向くが、国民の圧倒的多数を占める農民にとっては、昔も今も牛なのだ。

 ミャンマーの土地はすべて国有だ。農民が持つのは耕作権。これを毎年更新する際、政府が品種を含めて何を作付けするかを指定する。男性は「社会主義時代のチェックは厳しかったが、今は結構いいかげんで、品種は勝手に選んでいる」と言った。

 ミャンマーは、全輸出額に占めるコメの割合が6〜8割を占めた時代があったが、天然ガス輸出の急伸もあり今では、3%にまで落ち込んだ。とはいえ、1人当たり世界最大のコメ消費国だ。「コメどころ」の地位は揺るがない。

 それは英植民地統治の遺産でもある。大英帝国は各植民地に紅茶やコーヒー豆、ゴムなど単一の農産物生産を押しつけた。いわゆる「モノカルチャー経済」で、ミャンマーはコメを担った。


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