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大中華世界的話題
2574
:
チバQ
:2011/09/25(日) 15:28:07
1906年10月の香港。中国13省の代表と革命計画について話し合うため、亡命先の東京から香港にやってくる孫文を暗殺しようと、清朝は多数の刺客を放つ。しかし孫文の支持者たちが多大な犠牲を払いながらも、孫文を守り抜き秘密会議を無事に成功させるというあらすじだ。
映画の冒頭シーンは、中国国内のインターネットで大きな話題となった。孫文の盟友で、反清組織「香港興中会」の初代会長、楊衢雲(ようくうん)が刺客に暗殺される場面で映画が始まる。
大学教師として学生たちに「民主主義」について熱く語る楊に対し、若い女子学生が「中国でも民主化は実現されるでしょうか」と聞く。楊は悲しそうな目で遠くを見つめながら、「実現されるさ。私は見ることはできないだろうが、君たちはきっと見ることができる」と答えた途端、何者かに頭を撃たれて倒れる−。
この映画はネットで「今の中国知識人の思いをも代弁している」「民主主義の啓蒙(けいもう)教科書だ」などと絶賛された。興行成績を重視し商業主義に左右される香港映画が多い中、香港の映画人たちは許された表現の自由を生かして、政治的メッセージを中国国民に送ったのではないか。そんな観測も流れている。
このメッセージは、天安門事件の“風化”が進むなど、「香港の中国化」が蔓延(まんえん)している折だけに、余計に注目されたといえるかもしれない。
ちなみに同映画が中国本土で話題になった時期が、民主活動家、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞と重なった。ネットでは映画に関する書き込みが数多く削除されたほか、「十月囲城」という単語も、中国当局が注意する“敏感キーワード”に指定され、本土で一時検索できなくなった。中国当局も問題視していた様子がうかがえる。
辛亥革命の際、香港は清朝打倒の拠点として大きな役割を果たした。そして100年後、中国は英国との返還交渉における合意に従い、香港に一国二制度を保障している。
しかし、孫文が「革命思想の原点」と称賛した香港にはいま、共産中国の影が浸透し、一国二制度の輝きは色あせつつある。図らずも、孫文の映画がその現状を浮き彫りにし、警鐘を鳴らす格好となった。(香港 矢板明夫)
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