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大中華世界的話題
2384
:
チバQ
:2011/07/03(日) 20:49:08
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110703-00000052-mai-int
<タイ>「インラック旋風」衰えず 元首相帰国なら対立再燃
毎日新聞 7月3日(日)20時22分配信
【バンコク西尾英之】3日投票されたタイ総選挙は、出口調査でタクシン元首相派野党「タイ貢献党」が半数を上回る議席を獲得し、2年半ぶりにタクシン派政権が発足する可能性が強まった。だが国民が一致してタクシン氏の「復権」を受け入れたわけではなく、今後タクシン氏が帰国・復権へ動き出せば、タクシン派と反タクシン派の対立が再燃するのは必至だ。
「インラック首相、インラック首相」。投票終了直後に発表された出口調査結果で、半数超えの見通しとなったタイ貢献党本部には同日夕、タクシン元首相派のトレードマークの赤シャツ姿の支持者が集まり熱狂的な歓声を上げ続けた。地元テレビ局の電話インタビューに応じたタクシン氏は「国民が民主主義を望んだ結果だ」と語った。
汚職罪で有罪判決を受け収監を逃れるために海外逃亡中のタクシン氏にとって、今回の選挙は「帰国・復権」へ向けた最後の機会だ。実の妹のインラック氏の首相候補への擁立は自身の復権へ向けた露骨すぎる戦術としてバンコクなど都市部中間層の反発を買う可能性があり、貢献党にとっては危険な賭けだった。
だが同党は都市部の有権者向けに、タイ初の女性首相候補となったインラック氏の新鮮さを前面に押し出して「新しいもの好き」(地元記者)の中間層に訴えた。インラック氏自身は「兄の操り人形ではない」との姿勢をアピールする一方で、「兄を支持したように私を支持して」とも訴え、反タクシン支持層と熱烈なタクシン支持層とのバランスを取った。
政権党である民主党にとっては、国民の間に「物価上昇を抑えられず生活を悪化させた」との印象が広がったことが強い逆風になった。また、バンコク国際空港を占拠した反タクシン派が一切刑事訴追を受けていないこと、憲法裁判所の判決でタクシン派政権が崩壊しアピシット現政権が誕生したことなどで、国民の間に司法の中立性への疑念が生じたことも同党に不利に働いた。
タイの総選挙は01年以降3回連続でタクシン派が勝利している。今回、貢献党の勝利が確定すればタクシン派政権への「民意」が明確になり、軍や反タクシン派は当面、選挙結果を受け入れ情勢を静観するしかないとみられる。
インラック氏はタクシン氏帰国につながる恩赦について「家族のために行うことはない」としながらも、「恩赦は国民和解の手段」と語り、第三者機関の意見を聞いた上での実施に含みを残した。インラック政権が発足し、もしタクシン氏帰国へ向けた動きが具体化すれば、インラック氏擁立が「タクシン氏復権のための方便」であったことが明確になり、国内対立はこれまで以上に深まる。
貢献党は選挙で最低賃金の大幅引き上げなどを公約したが、どのようにして物価上昇を抑えるかなど具体的な政策については触れないままだ。「企業経営の経験があるインラック氏なら、国の経済運営もできるはず」との期待は根強いが、政治経験のないインラック氏の手腕は未知数だ。
◇最近のタイ政治の動き◇
<2001年>
1月 タクシン派「タイ愛国党」が総選挙で大勝。2月にタクシン氏が首相就任
<05年>
2月 総選挙で愛国党が377議席を獲得。1政党の単独過半数獲得は同国憲政史上初めて
<06年>
4月 総選挙が実施されたが、反タクシン派の民主党などが参加拒否。5月に憲法裁判所が選挙無効の判断
9月 軍事クーデターでタクシン政権崩壊
<07年>
12月 総選挙が実施されタクシン派「国民の力党」が半数近くを獲得
<08年>
2月 「国民の力党」が少数政党と連立しタクシン派政権発足
8月 反タクシン派「民主市民連合」(PAD)が政権退陣を求めて首相府を占拠
9月 憲法裁がタクシン派のサマック首相の料理番組出演を違憲と判断。首相は失職
11月 PADがバンコク国際空港占拠
12月 憲法裁が「国民の力党」に解党を命令。連立少数政党が民主党に寝返り、反タクシンのアピシット政権発足
<09年>
4月 タクシン派「反独裁民主戦線」(UDD)がパタヤで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議会場に乱入し、会議は中止。バンコクで治安部隊と衝突
<10年>
2月 最高裁がタクシン元首相の資産約2000億円のうち、約1250億円の没収凍結を命じる判決
4月 UDDがバンコク都心部を占拠
5月 軍がUDDを強制排除。4月以降の衝突で90人以上が死亡。UDDは都心部の商業施設などに放火
<11年>
5月 アピシット首相が国会を解散
7月 総選挙実施
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