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大中華世界的話題

2318チバQ:2011/06/14(火) 21:07:51
前回述べたように、2000年代に入ってタイの総選挙の実態は大きく変わり始めている。その最大の変化は、「個人選挙から政党選挙への移行」といえよう。立候補者に政党所属が義務付けられたため、中央(バンコク)に本部を有する政党の指導下で選挙を戦うことになった。つまり、地方が中央に飲み込まれ、政党による全国的な系列化が進んできているといえよう。各地方で影響力を有する政治家も確かな眼で所属政党を選択しなければ、当選がおぼつかない時代になった。とはいえ、選挙戦の現場では、まだまだ個人選挙の伝統が生きている。そうした選挙戦の一端を理解しておくことは、重要であろう。

どこの国でも、選挙戦の手段といえば、ポスターなどの印刷物による宣伝、街頭などに立っての演説、有権者への挨拶、さらにはマスメディアによる広報などがあげられるが、タイでも、具体的な方法や規制は異なるものの、その点はほぼ同じである。

ただ、タイにおける選挙戦の特徴は、より深いところに存在している。大きくは2つに絞ることが可能かもしれない。一つ目は、資金力(カネ)が当選のための最大の武器となっている。1900年代の総選挙時で、選挙に必要なカネは1,000万バーツ以上といわれ、そのカネのほとんどが買票に回され、1票当たり最高で1,000バーツ、平均して100〜300バーツの相場であった。

この買票行為を請け負うプロの運動員は「フア・カネーン(票頭)」と呼ばれているが、親分・子分関係から成り立つグループの場合が多い。統率する最高リーダーの手にわたる成功報酬は相当な額にのぼる。このフア・カネーンの力が当落を左右することが多く、フア・カネーン選びは立候補者の最大の仕事といわれている。フア・カネーンは直接買票に加えて、有権者の好みそうな商品の特別廉価販売など様々な巧妙な作戦を展開する。中には、各家庭の状況をつぶさに調査し、子弟の就職の斡旋約束といった手段も駆使するという。また、投票所の前に臨時食堂を設けて投票者に食事を振舞う者もいた。

二つ目は、選挙そのものの管理運営が行政(内務省)に委ねられていたため、県知事、郡長、警察署長、村長(カムナン)、区長(プーヤイ・バーン)の行政ラインの動きが選挙戦に大きく影響した。彼らと立候補者との私的なコネが「不正」の温床となった。たとえば、彼らが有権者名簿の作成権を握っていた上に、フア・カネーンである場合も多く、複数登録などの捏造(バンチー・ピー、幽霊名簿)が横行した。1992年の選挙時に筆者が投票見学した村落でも、区長宅には手垢と赤鉛筆で汚れた有権者名簿が置かれており、あきらかに物故者の名前などが多数混入していた。

たしかに、1997年憲法以降、独立した機関として選挙管理委員会が設置され、選挙管理事務が行政の手から分離された。また、政党が選挙を取り仕切るようになった。さらに、近年の地方自治制度の進展で選挙回数も増加し、国民の選挙理解も進んできた。そのせいか、不正は大幅に減少し、選挙風景は大きく変化した。しかし、資金力とフア・カネーンという要素は変わっていない。それは、百万長者のタックシンに支えられたプアタイ党、莫大な違法献金疑惑のあった民主党……に如実に表れている。そして、今日のフア・カネーンは候補者個人の所属に加えて政党所属が増加し、組織化が進んできている。選挙時はフア・カネーンとして働くが、平時は政党のオルグ活動に従事するようになってきた。言い忘れていたが、暴力の存在も選挙に付き物である。壮烈な闘いの選挙区では、政敵を暗殺する事件がこれまでも多々生じている。解散直後の去る5月14日に、警察当局が選挙日まで注意するようにと、112人の殺し屋リストを公開したのも、そうした背景の上に立っている。カネ・コネ・暴力という選挙風土は、新しい選挙制度のもとでもしつこく生きていると考えておかねばなるまい。


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