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大中華世界的話題
1504
:
チバQ
:2010/05/03(月) 23:13:33
「目標を必ず達成する男」
経済的手腕は、従来の中国では最高指導者に必須の資質ではなかった。むしろ95年に朱鎔基(チュー・ロンチー)が首相に就任して以来、経済のプロはトップの補佐役が指定席だった。
党総書記兼国家主席に求められる条件は、少なくとも二つの省で実績を上げていること、イデオロギー的に穏健であること、一族の内部にスキャンダルをかかえていないことの三つ。過去の人事で「経済面での実績が判断基準になったことはない」と、政治評論家の李大同は言う。
若いころから独創的なアイデアマンだった習の昇進は、そんな党内の人事基準が様変わりしたことを示している。父親の習仲勲(シー・チュンシュン)元副首相は文化大革命期に批判されて失脚。息子の習も15歳で陝西省の人民公社に「下放」され、肉体労働に従事した。
だが、ここでの働きぶりが農民たちから高く評価され、習は村の党責任者に就任。さらに地元の推薦を受けて大学に進学した。「当時としては前代未聞の出来事だった」と、80年代から習をよく知る元党関係者は言う。
名門・清華大学で工学を学んだ習は、82年に河北省正定県の党副書記に就任する。ここは発展の遅れた地域だったが、習は国営テレビ局・中央電視台の長編ドラマ『紅楼夢』のロケ地になったことを利用して、撮影セットを人気観光スポットに仕立て上げた。
当時の中国はまだ中央統制経済が色濃く残っていた時代。このような起業家的発想の事業はほとんどなかった。「故宮を別にすれば、観光施設はないも同然だった」と、前出の元党関係者は言う。
その後も習は、経済改革の道を突き進んだ。文革後に復活した父親の習仲勲は、中国初の資本主義の実験場となった「経済特区」の創設に大きく貢献した。習近平は85年、狭い海峡をはさんで台湾と目と鼻の先にある福建省アモイの副市長に就任。それから17年間、習は「今すぐやろう」をスローガンに掲げ、台湾との両岸貿易を大幅に増加させた。
02年には、同じ沿海部にある浙江省の党副書記兼省長代理に転身。ここでも起業家精神を発揮して、揚子江デルタ地域の企業経営者の連携を図る組織を立ち上げ、民間企業主導で経済発展をめざす「浙江モデル」の旗振り役になった。
地元の民間活力を刺激する改革を推し進めた結果、浙江省は20年連続で年13%以上の経済成長を実現。「習は中国の経済改革の最前線に身を置いていた」と、地元・温州大学の謝健(シエ・チエン)教授は語る。
民間部門が経済全体の4分の3近くを占める浙江省の旺盛な活力は、外国の要人からも注目を浴びた。ヘンリー・ポールソン米財務長官は06年9月の訪中の際、真っ先に習と会って夕食を共にした。「目標に掲げたことは必ずやりとげる男だ」と、ポールソンは習を評している。
汚職と闘うミスター・クリーン
こうした外国からの称賛は、以前なら出世の足かせになったかもしれない。だが今は違う。共産党は次期総書記の最有力候補に、党内初の現代的政治家である習を選んだ(党員や民衆の間で習の人気が高いのは、人気歌手・彭麗媛<ポン・リーユアン>の夫だからでもある)。
それでも欧米人の目から見ると、習はどこかあか抜けない印象を受ける(ネット百科事典ウィキペディアの英語版には「武骨な田舎者」という表現が載っているが、中国国内では閲覧できない)。先日の党大会では、椅子にふんぞり返り、短めのズボンのすそから安物の白いソックスをのぞかせる映像が流れた。
今も謹厳実直を好む傾向が強い党の内部で、太子党という特権階級の一員である習が高い人気を得られるのは、この泥臭いイメージのおかげでもある。若いころに農村部で苦労した経験があるので、貧しい地方の党官僚だった胡錦濤からみても受け入れやすい。
一方で、高級幹部の息子という生まれと経済発展の著しい沿海部で実績を積んだ経歴は、今も隠然たる影響力をもつ江沢民(チアン・ツォーミン)前総書記を中心とする「上海閥」にもアピールできる。
習には、高級幹部の汚職問題が大スキャンダルに発展した上海市と福建省で組織の立て直しに尽力した経験もある。習は上海市党書記に就任早々、幹部たちを呼んで資産の公開を命じたという。
その結果、「習はとてもクリーンな人物とみられるようになった。民衆はもう汚職はこりごりだと考えている」と、上海に拠点を置くある欧米企業の首脳は語る。
中国の民衆は、汚職の代わりに習近平を手に入れた。中国らしい部分を残した現代的な共産党のニューリーダーを。
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