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【政権交代選挙】200X次期衆院選スレ
1
:
名無しさん
:2004/07/16(金) 12:54
今まで以上に政権交代に注目が集まる200X次期衆院選のスレ
1602
:
とはずがたり
:2009/07/30(木) 02:15:39
【山形】
争点と票の行方・1 靖国 参拝意義、なぜ問わぬ
http://www2.asahi.com/senkyo2005/local_news/yamagata/TKY200508230164.html
2005年08月23日
「来年もその後もずっと追悼式を開いていただけますか」
山形市内で19日に開かれた市戦没者追悼式の直後、市遺族連合会の会長庄司権四郎さん(70)は市川昭男市長に聞かざるを得なかった。
「続けます」。市川市長の言葉に庄司さんは、一安心した。
●発言は世論喚起
日本遺族会は全国的な自民党支持団体で、同会はその自治体レベルの組織。山形市内は29地区に分かれて活動している。
近年、独自に追悼式を開くのが難しくなっている地区もでてきている。高齢化による会員の減少が一因だ。山形市も最盛期には3300人ほどいた会員が2700人まで減った。
「追悼式をやめてはどうか」。そんな意見が聞かれる地区もある。地元の社会福祉協議会との共催で何とか続けているところが半数ほど。市全体の追悼式も79年から、市社福協などとの共催の形をとる。市川市長は、その市社福協の会長だ。
追悼式の存続に腐心してきた庄司さんにとって、靖国参拝に積極姿勢を見せた小泉首相の存在は「ありがたかった」。
首相の靖国参拝をめぐり、中国、韓国との関係悪化が取りざたされ、靖国神社は今夏、特に注目を浴びた。終戦記念日には昨年の3倍を超える約20万人の参拝があった。首相の発言は世論喚起につながったと思う。
庄司さんの父・正幸さんは1943年(昭和18年)に出征、45年3月にフィリピンで戦死している。
遺骨を納めた箱がカランと鳴ったのを今でも忘れない。中には小さな石が入っていた。
父の遺骨すら戻らなかった庄司さんにとって、「靖国神社は父がまつられているんだと実感できる場所」だ。
首相は今年、8月15日に参拝しなかった。「外交問題があるから仕方がないだろう。でも、選挙が終わったら参拝してほしい」
●「あまりに軽い」
一方、首相の靖国参拝に首をかしげる元日本兵もいる。
山形市内で美術民芸品店を営む山鹿菊夫さん(80)は、44年に山形の連隊に召集され、士官候補生として千葉県の習志野で終戦を迎えた。連隊で一緒だった仲間のほとんどはフィリピンのルソン島で戦死した。
山鹿さんも上京するたびに靖国神社を参拝する。そして決まって、裏手の森を散策する。
「上官に殴られ、ひどい思いをした。あいつらと一緒に本殿にこもりたくない。靖国で一番高い木にいるから会いに来い」。そう言って死地に赴いた親友に会うためだ。
古本市で見つけた本に、親友の部隊についての記述があった。「戦死」した兵士の大半は餓死と病死だった。愕然(がくぜん)とした。
首相は、A級戦犯の合祀(ごうし)について、「日本人は、死んだら皆が仏様になると思っている。死んだ後も罪を許さない中国とは、死生観が違う」と発言している。
靖国神社なのに、仏様といい、仏様ゆえに罪は許されるという首相。山鹿さんは「あまりにも軽い」と憤る。
「東条英機らは『生きて虜囚の辱めを受けず』の戦陣訓を徹底した。降伏すれば、餓死や病死をせず、国に帰れたのに……。その戦犯と、仲間も一緒にいたくないはずだ。A級戦犯の分祀(ぶん・し)など靖国改革を表明してから参拝してほしい。それなら、中国や韓国も理解してくれるはずだ」
首相は「靖国参拝を争点にする気は全くありません」と断言した。
戦後60年を経て、なお物議を醸しながら、総選挙の争点から外される靖国。山鹿さんはもどかしさを感じざるを得ないでいる。
◇
総選挙が迫ってきた。立候補予定者は出そろい、事実上の選挙戦はすでに始まっている。この選挙で何が問われ、人々はどう判断しようとしているのか。争点と選択の行方を探った。
1603
:
とはずがたり
:2009/07/30(木) 02:16:05
【山形】
争点と票の行方・2 農業 政治に寄りかかれず
http://www2.asahi.com/senkyo2005/local_news/yamagata/TKY200508240158.html
2005年08月24日
4年前の6月中旬、サクランボ収穫の真っただ中、寒河江市のサクランボ農家、土田隆志さん(57)はスーツ姿で東京を歩いた。販路の維持、拡大のためだ。
「畑、大丈夫ですか」と青果会社に心配された。「大丈夫じゃねえっすけど、来ました」
00年、市内に九つあった集荷場が二つに統合された。土田さんはその旗振り役の1人だった。統合後、市さくらんぼ部会長になった。言い出した自分が努力しないと、この統合は軌道に乗らないと、意を強くしての上京だった。
●農家も「改革」
土田さんが営農する三泉地区のサクランボは、かねてから高品質とされる。他地域に比べ、1キロ200〜300円高く出荷される。自分も有機肥料だけで育てるなど品質には自負がある。
地元の集荷場が他と合わさることで、三泉地区のブランド力が落ちやしないか、といった反対の声が当然のように上がった。
「でも、量がまとまった方がコストも下がって売りやすい。効率の悪い小規模では市場から切り捨てられかねないんだ」。会議で説明を重ねた当時が思い出される。
寒河江のサクランボは「アテにならない」といわれた時期があった。収量が安定せず、市場関係者から苦情が上がった。統合後、部会中心に生産指導に力を入れた。安定供給と均質化、市場集約が進んだ。サクランボ農家全体の利益につながった、と信じている。
もともと自民党を支持している。今回はことのほか「改革」と声高に叫ぶ小泉首相の胸の内が分かる気がする。
「いい格好をしたいなんてものではない。要は覚悟なんじゃないかな。農家も『改革』してんだから」
最近、後継者問題など、高校を出て就農した当時からいわれた問題がより深刻になったと感じる。農政の「質」が変わらざるを得ないとも思う。
「政治に何でも頼んで寄りかかるだけではいけない。自分たちで積み上げていくものがないと」
●今のままでも
「投票の結果が米の値段を大きく左右する時代でもない。正直に言うと自分たちの世代は政治に関心を示しにくい」
こう明かすのは同市内の若手とされる米と果樹の複合経営農家(41)。
「会社員のように安定した収入を得られるようになりたいな」
同世代の集まりで耳を傾けると、こうした声が多い。収入が安定すれば担い手の育成につながる。田畑が荒れていく悲しい光景を見ずにすむ。
これまでの農政に両手を挙げて賛成しているわけではない。「政策本位で投票する柔軟な頭はもっているつもりですが。やはり今のままの流れでいいとも思うし……」
農政はどうあるべきなのか。そして政治に何を期待すべきなのか。明確な意思をまだもてないでいる。
1604
:
とはずがたり
:2009/07/30(木) 02:18:48
>社会党は60〜70年代の一時期、県内では県議十数人を擁し、参院議員と複数の衆院議員を抱えた。労組だけでなく、農家が組織した「農民組合」を巻き込んでの得票だった。
>集団就職で上京した子、冬場の出稼ぎで工事現場に出る父、農家出身の労働者を支援したのが社会党だ。農作物の最低額保障も打ち出していた。社会党の政策は、農家にも支持された。戦後から高度成長期まで、農家は必ずしも強固な自民支持層ではなかった。
>だが、自民党が農協共済を抑え、農家の財布を握ったことで、農村票は切り崩された。労働運動も低迷を続ける。
農協共済を抑えたのがでかいのか??
【山形】
争点と票の行方・3 労組 「反自民」一致に託す
http://www2.asahi.com/senkyo2005/local_news/yamagata/TKY200508250196.html
2005年08月25日
山形市の須藤昭夫さん(74)は労働組合の闘士だった。だが、かつて企業経営者らに声を張り上げた姿は今はない。
10年ほど前から、肺の細胞が徐々に壊れる肺気腫を患っている。階段を上っても息切れがする。鼻にチューブを入れ、酸素吸入器を手放せない。
社民党が3区に候補者を立てると聞き、久しぶりに血が騒いだ。
「病気がなければ、応援に行きたい。復活当選があるかもしれないんだろう。社民党最後のチャンスだ」
●今度こそ社民
県内でも労働争議が相次いだころ、1975年までの6年間、電電公社(現NTTグループ)の労働組合・全電通県支部の委員長だった。社会党(現在の社民党)をずっと支持してきた。
肺気腫は「労組委員長の職業病だ」と思っている。毎日のように、企業幹部と団体交渉があった。団交中は勢い、たばこを吸ってしまう。
それが終われば、労組の仲間と飲み屋で、たばこを片手に酒を酌み交わし、雀荘(じゃんそう)で夜を明かして、また吸った。
1日に60本。肺気腫はたばこが原因かわからない。仲間と労働者の待遇改善に取り組んだ証しのような気がする。
今回の総選挙では1、2区の民主候補を社民が支援し、3区の社民候補を民主が応援する。民主票が乗れば、比例区での復活当選の可能性があると社民陣営は見込む。
須藤さんは1区で民主候補に「選挙協力」で投票するつもりだ。「今度こそは社民に当選してほしい。でも本当は民主に入れたくないよ」
その須藤さんも社民党の政策となると、ピンと来ない。戦争で友人や兄を亡くした。だから、「憲法9条を守れ」はわかる。でもほかの政策は、「よくわからない」。
社会党は60〜70年代の一時期、県内では県議十数人を擁し、参院議員と複数の衆院議員を抱えた。労組だけでなく、農家が組織した「農民組合」を巻き込んでの得票だった。
集団就職で上京した子、冬場の出稼ぎで工事現場に出る父、農家出身の労働者を支援したのが社会党だ。農作物の最低額保障も打ち出していた。社会党の政策は、農家にも支持された。戦後から高度成長期まで、農家は必ずしも強固な自民支持層ではなかった。
だが、自民党が農協共済を抑え、農家の財布を握ったことで、農村票は切り崩された。労働運動も低迷を続ける。
●わずか5項目
社民党県連合と民主党県連は23日、選挙協力を正式に決めた。だが双方の幹部が交わした政策協定の文書には、わずか5項目が盛られただけだった。
「あいまいなのは仕方がないですよ」。県教職員組合の菅井道也委員長はそう話す。県教組は元々、社民党支持だ。
「改憲含みの民主と護憲の社民では憲法に対する見解だけでも大きく違う。すり合わせなんかできるはずがない」
それでも、県教組も民主支援に動きそうだ。「民主と社民で一致するのは『反自民・反小泉』だけ。政策は一致しないからベストはないが、自民と民主どちらがベターかという問題だ」。支援に傾く理由を打ち明ける。
96年に党名を変えて以来、初の県選出国会議員を出したい社民党。だが、農家と労働者の双方を引きつけた社会党時代との変わりように違和感を抱くのは、須藤さんだけではない。
1605
:
とはずがたり
:2009/07/30(木) 02:19:23
【山形】
争点と票の行方・4 子育て「票とれぬ」本音見え
http://www2.asahi.com/senkyo2005/local_news/yamagata/TKY200508260190.html
2005年08月26日
「いただきまあす」。テーブルにおやつが並ぶと、子供たちの声が小さなプレハブの小屋いっぱいに響いた。
山形市にある「うめばち子どもの家」。小学生の児童を預かる「放課後児童クラブ」だ。
広さは60畳ほどだが、テーブルや本棚が置かれた室内は手狭だ。91人の子供が、互いをかき分けるようにして駆け回る。並んで昼寝をすると、まさに「芋を洗う」光景が広がる。
「学校では30人学級なのに、放課後はすし詰め。子供たちがかわいそうです」。指導員の山川美江子さん(49)は、そうこぼす。
◇
共働きが多い山形県。女性の就業率は全国一だ。放課後児童クラブに通う子供は、6000人に上る。核家族化の進行も手伝い、5年前から2000人増えた。
その間に新設された施設の数は32。1施設あたりの人数は増えるばかりだ。狭いアパートの部屋に、何十人もがひしめく施設もある。
放課後児童クラブはかつて「学童保育」と呼ばれ、公民館など既存の施設の利用が前提とされてきた。運営費は国・県・市町村の三者から一定の助成があるが、建物を市などが独自に造ってくれる例はまれだ。
核家族の割合が高く、比較的施策が充実しているとされる山形市でも担当者は「今の財政状況では、市町村レベルで利用者増に見合うだけの施設を新設するのは無理」。適当な施設がなければ、若い親たちが自分で建てる例も少なくない。
うめばち子どもの家のプレハブの建物も17年前、親たちが金を出し合って造った。子供が増えてそれまで借りていた建物が狭くなり、広い施設が必要になったからだ。
費用は460万円。5年のローンを払い終える間にも子供の人数が増え、今度は庭をつぶして増築した。今も、借金を返済しながらの運営が続く。
初めて訪れた親たちは保育所との施設の落差に驚く、と山川さんは言う。建物の目の前から「どこにあるんですか」と電話してくる親もいた。「目の前のプレハブです」と言うと、「こんなところに預けるなんて」と絶句された。
山川さんは結婚退職をそれとなく勧める銀行に嫌気がさしてやめ、自分も子育てをしながらこの仕事を続けてきた。共働きを否定する風潮はなくなったが、少子高齢化が進む一因は女性が働きやすい環境が整っていないからだと思う。
総選挙に向け、相次いで発表されたマニフェスト。どの党も、少子高齢化対策として子育て支援を掲げている。
だが、公示日が近づいても、少子化や子育てを論じる声はほとんど聞こえてこない。
「結局、『子育て』は票にならないということなのかな」。愚痴とも怒りともつかない言葉がこぼれた。
◇
「少子化対策は、子育て支援だけじゃないんです」。県庁に今年できた「女性青少年政策室」の少子高齢化問題の担当者が言う。
山形では、夫婦1組あたりの平均出産人数は2.29人。全国平均を上回っている。問題なのは、結婚するかどうかだ。30年前は、県内の30代後半の男性は97%が既婚者だった。今は、4人に1人が独身だ。
結婚対策に取り組む自治体もある。温海町は03年、結婚対策専門の部署を設置。30件以上のお見合いを実施してきた。
「幸せになりたい独身女性の方、お待ちしております」。町のホームページにはそんな文句も並ぶ。だが、結婚したカップルはまだない。
「結婚のための事業の助成など、産む前のことにも目を向けてほしい」。担当職員はそう言う。
◇
厚労省は23日、日本の人口の増減を調べた統計を発表した。マイナス3万人。昨年まで増加を続けてきた1年の上半期の人口が、初めて減った。
刺客。造反。新党。テレビに映るのはセンセーショナルな勢力争いばかりだ。票の行方は足元の暮らしをどこに導くのか。歯がゆい思いをしている人がいる。
1606
:
とはずがたり
:2009/07/30(木) 02:25:37
>>1605
今回は子育て支援が注目を集めてますけど,前回はこんなんだったんですな。
1607
:
とはずがたり
:2009/07/30(木) 02:26:19
>>1602-1607
【山形】
争点と票の行方・5 建設業界 「政権どちらに」漂う
http://www2.asahi.com/senkyo2005/local_news/yamagata/TKY200508270161.html
2005年08月27日
今月中旬にあった自民党前職の事務所開き。約120人の「支持者」が集まった。その中に地元の建設会社社長ら10人が顔を出した。「がんばりましょう」。必勝を誓う気合の声が響き渡った。
だが、陣営関係者(54)は漏らす。「自民だけでなく、民主の陣営にも顔を出して、『保険』をかける業者も多い。顔を出したからといって額面通り票を計算できなくなっている」
小泉政権のもと、公共事業が次々に減らされている。県内の建設投資は96年に9600億円だったが、03年にはほぼ半分の5000億円。98年に3700億円あった公共投資も、03年には2000億円にまで落ち込んだ。
一方、県内の建設業許可業者数はあまり変わっていない。ピークは99年の約5800社だが、最も少なかった02年も約5600社だった。従事者数も96年が7万1800人で最大、最少は01年の6万4000人だ。
減り続けるパイを大勢で奪い合う状況が続いている。04年、全倒産企業のうち、40%超を建設業が占めた。
◇
山形市あさひ町にある自民党県連の隣に、れんが色をした5階建ての建物がある。県建設会館だ。3階に県内8支部、344社の会員を抱える県建設業協会が入る。
真壁信政専務理事は「建設業界の現状は「厳しいなんてもんじゃない」と嘆息をついた。
自民党はマニフェストで公共事業について「07年度までに15%の総合コスト削減を達成する」とうたう。真壁専務理事は「さらに厳しくなるのか」。ぼやきがでる。
民主党も「環境破壊型公共事業を環境・緑を守る持続可能な公共事業に転換させるとしながらも、国の直轄公共事業を半減する」。
真壁専務理事は個人的な意見と断った上で話した。「小泉政権を支持しているわけではない。でも、公共事業の15%減と、半減。普通ならどっちを選びますか」
◇
業界は選挙になると、陣営に人を出したり、票を集めたりして自民党に恩を売り、その見返りとして地元に公共事業を誘導する。公共事業の発注権は与党が握る。「地元選出の自民党議員がいなくなれば、公共事業もなくなり、仕事は回ってこない」。そんな見立てが自民党の「集票マシン」を機能させてきた。だが、その構図が揺らいでいる。
「政権選択の選挙」と位置づけられる今回、政権交代した場合を見越して民主党にも出入りする業者がかつてより増えているという。
郵政民営化の賛否に注目が集まっているが、業界にとっての焦点は、政権を取るのは何党かだ。その「流れ」に建設業者の票はついていく。
「建設業界も変わりつつある。業者が嫌がるから、昔のように無理な動員もかけられなくなっている」。自民党関係者がそうつぶやいた。
(終わり)
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