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【政権交代選挙】200X次期衆院選スレ
1504
:
とはずがたり
:2008/01/12(土) 20:56:50
舞台裏の攻防 2005衆院選
〈1〉綿貫党
離党にも揺るがぬ結束
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/toyama/kikaku/097/1.htm?from=goo
高岡市昭和町に本社を置く運送会社の会議室は、緊迫した雰囲気に包まれていた。国民新党が結成された翌日の18日夜。綿貫民輔氏(78)はテーブルを挟んで3区選出の8人の自民党県議と向き合った。新党結成の経緯を説明する綿貫氏に対し、砺波市選出の米原蕃県議はたまらず切り返した。
「綿貫先生のおっしゃることはきれい事です。あなた個人は応援する。だが、それは無所属の話。国民新党は応援できない」。綿貫氏はうなずくばかりだった。
「新党ができるかもしれない」。17日朝、同社には19支部の後援会長ら40人以上が詰めかけた。この時、新党の準備で永田町近くのホテルにいた綿貫氏は、後援会幹部からの電話に耳を傾け続けた。「新党への参加をやめて欲しい」「新党では戦えない」。そんな訴えばかりだった。
保守的地盤が強く、自民党支持者が多い3区。離党した綿貫氏を支援すると、党からの除名も想定される。県議や市議にとって死活問題だった。
電話での説得は午後も続いたが、綿貫氏の決意は固かった。「それだったら私は(議員を)辞める」。そんな言葉まで飛び出した。
◎
新党結成の衝撃から5日後の22日夜。それでも旧福光町と旧井波町で開かれた後援会の集まりは、入りきれないほどの支持者であふれた。南砺、砺波の自民党両市連も綿貫支持を決議した上で、市連としての表向きの活動は休止した。離党の騒動で後援会には、危機感が芽生え、「当選させるという思いで一つにまとまった」と選対本部長の上田信雅県議は言う。
1969年以来、12回連続で当選してきた綿貫氏。96年に集めた18万2185票は小選挙区比例代表並立制になって以来、全国で最多得票を誇る。
強固な地盤を築いた秘密はどこにあるのか。砺波地方は松村謙三や片岡清一ら閣僚を輩出している。そんな土地柄を踏まえ、北島秀一郎県議は「歴史的に政治家を育てる気風がある。一度、推すと決めれば、徹底して応援する」と語る。
衆院議長時代には、永田町の議長公邸を訪れる支援者が歴代議長の中で最も多かったとの逸話も残る。「支援者は綿貫さんと公邸で写真を撮ることが喜びだった」(米原県議)
綿貫氏も支援者の期待にこたえる。弔問は欠かさず、集会では一人ひとりの名前を呼んで握手を交わす。北島県議は「地元の小さな要望を実現させた実績が信頼につながっている」とみる。
長年、後援会幹部を務める嶋信一・南砺市議会議長は誇らし気に言った。「結局、砺波地方の自民党は『綿貫党』なんですよ」
自民党を離れると選挙戦が苦しくなることは綿貫氏本人が一番、知っている。自民党本部が党員に公認候補を応援するように締め付けてくることも目に見えている。新党を結成した17日夜、綿貫氏は46年間所属した自民党と決別した心境を吐露した。「苦しいですよ。同志と共に育ってきた自民党を離れるのは……。中央(党執行部)の強引な手法を一番骨身に感じている私が行動を起こしたのだから(支持者に)信じてもらうしかない」
◇
かつて自民党の牙城(がじょう)と呼ばれた3区が揺れている。自民党を支えてきた綿貫氏が離党し、公認を得たのは萩山教厳氏(73)。さらに自民党県連の元幹事長、向井英二氏(59)が民主党から出馬する。3区はこの3人に共産、社民の候補を加えた激戦区となる。「自民王国」の歴史を踏まえつつ、王国の変ぼうを象徴する3区の今を浮き彫りにする。
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