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【政権交代選挙】200X次期衆院選スレ
1503
:
とはずがたり
:2008/01/10(木) 16:50:16
2005衆院選 検証・自民圧勝中<山形>
保革相乗りに限界
民主の“大看板”が惨敗
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/kikaku/073/2.htm?from=goo
開票が始まった直後の11日午後9時10分、1区の鹿野道彦(民主)は敗北を宣言した。当選10回、2度の閣僚経験を誇る山形の“大看板”が初めて味わう惨敗だった。
「11年、歯を食いしばってやってきたのに」。ようやく一言を絞り出すと、鹿野は絶句した。「改革」を標ぼうして自民を飛び出した鹿野が、「改革」を争点とした選挙で自民に敗れ、政治生命の危機を迎えることになった。
選対幹事長を務めた会社役員の吉村和文(45)は、「ひとつの時代が終わったと思う」と総括した。吉村も、1月の知事選で現職の高橋和雄が敗れた時から、こうした事態を予感していたという。「時代の終わり」とは、2人に共通した選挙手法が通用しなくなったことを意味する。
自民を離党してからの鹿野は、自民時代の後援会に労組、時には創価学会も取り込んで3度の衆院選を生き残ってきた。非自民勢力を母体に自民支持層の一部を取り込む「保革連合」のスタイルは1990年代前半から、対自民戦術として首長選などで流行した。
県内では93年の知事選で高橋が本格的に実践した。鹿野や、今回は鹿野の選対最高顧問を務めた元衆院議員の近藤鉄雄はこの時、「自民の一部」だった。翌年に自民を離れた鹿野は、自らの選挙をはじめ山形市長選などで保革連合を取り入れ、連戦連勝を飾った。
だが、吉村の父である前山形市長・吉村和夫の死去(03年8月)を境に、不敗神話に陰りが見え始める。03年の前回衆院選では小選挙区で初めて遠藤利明に競り負けた。「4選・70歳以上」を推薦しない党内規を超えて高橋を支持した知事選でも、自民衆院議員の結束に屈した。そして、今回は比例選でも復活できない決定的大敗を喫した。
後援会をまとめてきた吉村の死がダメージになった、との見方もある。だが、政党を選択する小選挙区制が回数を重ねるほど、自民支持層の多い鹿野の後援会が浸食されるのは、当然の成り行きだった。読売新聞社と日本テレビ・同系列局の出口調査によると、比例選で自民に投票した有権者のうち、小選挙区で鹿野が獲得したのは9・7%。自民支持層に「鹿野」と書かせることが困難であることを物語る数字だ。
出口調査によると、仮に1区の民主支持層と無党派層をすべて取り込んだとしても計35・3%。自民支持層の49・7%には遠く及ばない。吉村和文は12日、「鹿野が今後も選挙を戦うなら、後援会の抜本改革が不可欠だ」と語った。「保革連合」ではなく、自民支持層を完全に取り込んだ後援会作りが必要、という見方だ。鹿野の「政治生命をかけた戦い」は、皮肉にも民主の新たな生き残り戦略を示して終わりを告げた。(敬称略)
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