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近現代史綜合スレ

976とはずがたり:2016/12/08(木) 15:14:15
>>794-796
 「いやみったらしい英語で言う白洲の様子が、目に浮かぶようね」と、桂子さん。

 このホイットニーとのやり取りだけを見ると、学歴や階級をひけらかしたようなイヤらしさを感じる向きもあるかもしれないが、白洲のイギリス英語の使い手としての力量は、そうした表面的なものだけではなかったようだ。

 GHQの憲法原案を押し付けて完成させようとしたホイットニーに宛てて、性急すぎると白洲が苦言を呈したことで有名なのが、いわゆる「ジープウェー・レター」(46年2月15日付)だ。先進的すぎる民主主義的な憲法の拙速な導入は、本来ジープで山道を越えていくべきところを飛行機で一足飛びに目指すようなもので、過激な反動を招きかねないと、たとえ話を交えて切々と訴えた。緊張感があふれる2枚紙の英文の手紙の最後は、こう締めくくられている。

“I am afraid I have already accelerated the paper shortage by writing this mumble but I know you will forgive me for my shortcoming for which my late father is also partly responsible.”(私がブツブツと文句を書き連ねたことで紙不足に拍車をかけてしまいましたが、これは亡父の性格を一部受け継いだゆえの私の短所によるものです。どうかお許しを)

 物資が払底していた終戦直後でも、さすがに紙2枚を政府が使えないことはなかっただろう。白洲の父は、貿易会社を興した大金持ちで後に会社を倒産させ、豪放な人物として知られた白洲文平。厳しい内容が続いた文面の最後で、英国紳士を彷彿ほうふつとさせるユーモアを見せられたホイットニーは、思わずクスッと笑ったのではないか。日本語にしてみると何と言うこともないが、何とも書き手のスマートさを感じさせる機知に富んだ文章だ。

 こうした人間的な面白みも手伝ってか、GHQの人たちは、桂子さんによると、幹部クラスを含むかなりの数が鶴川の自宅を頻繁に訪れて、白洲と親しく交わっていた。白洲はGHQにはっきりとモノを申したが、それは「喧嘩けんか」ではない「主張」だったということだろう。

「誇りある文明国」GHQに印象づける

 白洲次郎が終戦直後の日本にいなかったら、どうなっていたか。

 おそらく「押し付け憲法」の内容はほとんど変わらなかったし、その後の自衛隊発足、経済復興といった日本の戦後史も、基本的にたどったコースは同じだったろう。

 だが、白洲が憲法交渉に加わっていなかったら、「押し付け」を巡る日米の亀裂はさらに深刻になり、現代にまで一層暗い影を落としたのではなかったか。プライドの高い松本国務相は、怒りのあまり交渉の途中で席を立って出て行ってしまい戻って来ないほどだった。交渉団に入っていた吉田外相が後に首相になれたのは、GHQとの折衝の前面に立つ汚れ役を白洲が引き受けたからだという見方は、決して誇張ではないだろう。白洲の能力に目を付けて引っ張り出してきた吉田の人を見る力は大したものだったと言っても良い。

 白洲は、「確かに日本は戦争には負けたが、決して野蛮な未開国ではない。誇りある文明国だ」ということを、自らの行動を通じて、GHQの幹部たちに印象づけたのだろうと思うのである。

舟槻 格致( ふなつき・かくち )
 調査研究本部主任研究員。専門分野は憲法と政治。憲法を中心とした政治の動きを、政治部で担当。首相官邸のほか与野党、国会、外務省、法務省などを取材し、憲法、衆院選、統括担当の次長を経て現職。著書「政治はどう動くか」(書肆侃侃房)、共著「基礎からわかる 憲法改正論争」(中公新書ラクレ)など。


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