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近現代史綜合スレ

92とはずがたり:2006/01/07(土) 10:24:23
スクリュー音聞き分け 12歳“軍人”死と直面
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200601060019.html
2006年01月06日

 「戦艦大和の犠牲のおかげで生き残った」。小学校を卒業したばかりで軍の極秘訓練を受け、12歳で戦争に投じられることを運命づけられた旧海軍「少年研究生」の一人は、自らの生還の経緯をそう振り返った。六十数年前の少年たちは、10代の大半を死と向き合いながら生きていた。

 「機雷学校少年研究生(給仕)」。神奈川県横須賀市に住む榊原勇さん(78)の海軍時代の履歴表には実態を隠すためか、したこともない「給仕」が加えられている。

 「海軍が研究生を募集するらしい。詳しくはわからんが、勉強もできるし手当も出るようだ」

 66年前、小学6年の2学期。担任教師の言葉は、経済的に余裕がなかった榊原さんには魅力的だった。2年の「研究」の後、高校や大学へ進学する夢もふくらんだ。

 現在の同市田浦町にあった海軍水雷学校で試験を受けた。合格した榊原さんら15人は翌春から、研究生と教官らしか出入りを許されない同校の木造2階建ての建物で生活し、訓練を受けた。

 2階の講堂にはピアノと、米国で発明されたばかりで当時の日本では非常に珍しかった電子オルガン。教官の軍人がそれらを弾き、少年たちに音階を答えさせた。

 「わからねえのか、これが。でくのぼうっ」。元研究生の一人、同市佐原1丁目の三上金次さん(78)は、答えられない研究生への教官の怒声を、よく覚えている。

 訓練はしだいに実践的になった。ビルの屋上から電車の音を聞いて音符で再現したり、録音した米海軍の空母や潜水艦のスクリュー音を聞き分けたり。榊原さんは「実験動物に対する過酷なテストのようだった。訓練の目的も、だんだん分かってきた。『訓練に大金が投じられている』とも聞かされ、軍人を目指さざるをえなくなった」と語る。

 少年水中測的兵となった研究生らは、太平洋戦争末期に海へ出た。榊原さんの乗った巡洋艦は、米軍の機雷で封鎖された北陸沖の海を強行突破。爆沈を免れた直後の45年春、絶体絶命の命令が下った。

 「米軍が上陸した沖縄に水上特攻する」

 榊原さんは死を覚悟したが、間もなく特攻は中止に。先に出撃した戦艦大和が途中で撃沈されたためだった。別の駆逐艦で沖縄に向かうはずだった同市上町4丁目の元研究生、高橋豊さん(78)は「大和の犠牲がなかったら、今ごろ私たちも海の底だった。助かったのは奇跡的だ」と話す。

 元研究生のうち2人は、台湾に向かう途中で船が撃沈されるなどして帰らぬ人となった。


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