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近現代史綜合スレ

892とはずがたり:2016/08/24(水) 23:35:34
>>891-892
<1ドル=1万円になったのと同じ衝撃>

さて、この結果、円は暴落し、対ドルで2円前後から1932年12月の4.86円まで急速な円安が進行するとともに、日本はデフレから脱却した。

しかし、高橋蔵相は、経済が回復した後は当然、日銀直接引き受けを止めるつもりでいた。1935年10月に発表した1936年度予算編成方針では「公債漸減方針」を掲げた。

ちなみに、当時日銀は国債を直接引き受けていたが、引き受けた国債を市中に売却していた。直接引き受けは行っていなくとも、市中から購入した国債をそのまま保有し続けている現在の状況に比べると、直接引き受けていた当時の方が健全だったとも言えるかもしれない。実際、1936年当時の日銀のバランスシートの大きさは対国民所得比で20%前後であり、現在と比較しても極めて小規模にとどまっている。

日銀は引き受けた国債のうち、当初98―99%は市中で売却できていたが、1935年度には77%しか売却できなかった。公債の市中消化が滞り、日銀が発行公債を背負い込む状況を受け、高橋蔵相は、公債政策の行き詰まりを指摘し、悪性インフレーションの弊害が現れることへの警告を発した。

もっとも、健全財政路線にシフトすることで、高橋蔵相は軍部と対立。1936年2月26日に暗殺された(二・二六事件)。その後、公債漸減方針が撤回され、「対満州政策の遂行」「国防の充実」「農村の経済更生」「税制大改革」の名のもとに国債が野放図に発行され、戦争に突入していったことは歴史が示すとおりだ(国債発行額は1932年度の7.7億円から1945年度には334億円へと13年間で40倍以上に膨れ上がった)。

そして、戦後の日本は復興資金を日銀信用により賄ったことなどにより、ハイパーインフレに悩まされることになる。1944年から1951年までの8年間の物価上昇率は年率平均プラス100%にも達した。こうしたハイパーインフレを受けて、ドル円は円安方向へと大幅に修正されたのである。

ちなみに、第2次世界大戦が勃発した1939年当時は、1ドル=4.25円程度だったが、1945年8月に戦争が終結すると、軍用交換相場として1ドル=15円に設定され、1947年3月にはこれが1ドル=50円に、さらに1948年7月には270円に引き上げられた。そして、1949年4月に、連合国軍総司令部(GHQ)が発表したレート(一般に利用される相場)は、1ドル=360円となった。

1ドル=4.25円だったドル円は、たった10年間で360円までの大幅な円安になったということだ。これが先進国通貨の中で、ドル円だけが3桁になっている理由である。

要するに、日本という国は、たかだか80年ほど前に現在と同じような政策を採用しており、その結果が現代の為替相場に残っているのだ。4.25円が360円になるのは、120円が10000円(1万円)になるのと同じマグニチュードである。

後世の為替ストラテジストが、なぜドル円だけが5桁なのかを説明する時のキーワードは、「アベノミクス」「量的・質的金融緩和(QQE)」なのだろうか。


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