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近現代史綜合スレ

891とはずがたり:2016/08/24(水) 23:35:17
2016年 08月 24日 18:31 JST
コラム:なぜドル円だけが3桁なのか=佐々木融氏
http://jp.reuters.com/article/column-forexforum-tohru-sasaki-idJPKCN10Z0O8?sp=true
佐々木融JPモルガン・チェース銀行 市場調査本部長

[東京 24日] - 先進国通貨の対ドルレートを見ると、円だけ異なる点があることに気づく。他は整数が1桁だが、円の対ドルレートだけが3桁なのだ。

実は、ドル円相場も最初は1桁だった。何しろ、もともとは1ドル=1円だ。

円は、1871年(明治4年)に「新貨条例」という法律で日本の貨幣単位として採用された。純金1.5グラム=1円と定められ、1円、2円、5円、10円、20円の金貨が製造された。

一方、米国のドルはその79年前の1792年に「貨幣鋳造法」によって公式に採用され、1ドル金貨の金の含有量が決められたが、1871年時点での日米両国の金貨幣の純金含有量を比較すると、日本の10円金貨が15グラム、米国の10ドル金貨が15.05グラムでほぼ同じとなっている。

つまり、円という通貨は、そもそも1ドル=1円という価値になるように作られたと考えられる。

<戦前にたどったヘリマネへの道>

しかし、1877年に勃発した西南戦争の戦費調達のために、政府の不換紙幣が大量に発行されると、円の価値が下落し、1897年には1ドル=2円程度まで円安が進んだ。

戦費調達のために、政府が紙幣を大量に刷って市中に供給した結果、円の価値が下がり、インフレ、他国通貨に対する円安を引き起こしたのだ。当時、東京のコメ価格は、4年間で倍になったと記録されている。

こうした事態を背景に、1882年、松方正義大蔵卿(現在の財務大臣)は、日本銀行(日銀)を創設。日銀が唯一の中央銀行として、本位貨幣(金貨や銀貨)と必ず交換する銀行券(兌換銀行券)を独占的に発行するという制度を作った。

1897年に公布された「貨幣法」では、「1円=純金750ミリグラム」と定め、5円、10円、20円金貨を鋳造した。1円は、当初定められた純金含有量のちょうど半分と同等の価値ということになったのである。

このような措置をとったのは、それまでの物価上昇を反映するためだった。そして、日銀が発行する兌換銀行券も、金貨と兌換することを定め、これによって日本の貨幣制度は完全に金本位制度になったのである。

こうした政策のおかげもあって、ドル円は1897年から1931年までの34年間もの間、1ドル=2円前後で安定的に推移した。

しかし、ここから事情が変わってくる。1929年10月24日の米国での株価大暴落(暗黒の木曜日)を発端として世界的な大不況となり、他の主要国同様、日本でも物価が大幅に下落し、デフレに陥ったのだ。

この状況下、1931年12月13日に大蔵大臣に就任した高橋是清は、金の輸出を禁止し、日銀の発行している兌換銀行券を金貨に交換することを法律で制限した。つまり、金本位制度の停止である。

さらに高橋蔵相は1932年3月、金融関係者に対し、財政政策の拡張と満州事変の戦費調達のために、国債の日銀引き受けを実施する準備がある旨を伝えた。高橋蔵相の強い意向を受け、日銀も同意した。まさに、ヘリコプター・マネーが行われたわけだ。


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