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近現代史綜合スレ

823名無しさん:2016/05/28(土) 13:00:34
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160521-00000003-withnews-int
ゲバラが広島で発した「悲痛な言葉」 いま読んでおきたい偉人たちのヒロシマ語録 オバマ氏は何を語る?
withnews 5月22日(日)7時0分配信

 アメリカのオバマ大統領が5月27日、広島を訪問します。実は、これまでにもヒロシマを訪れた著名人はたくさんいます。キューバ革命の伝説的英雄、チェ・ゲバラは急きょ日程を変更して、広島へ足を伸ばし「悲痛な言葉」を残しました。原爆資料館で資料に見入ったマザー・テレサ。慰霊碑の碑文をかみしめた「レッド・ツェッペリン」のジミー・ペイジ……。被爆地で語られた言葉を集めました。

冷戦崩壊後、あの「大物」指導者が
 アメリカと並ぶ核大国の指導者だった「大物」も、今から20年以上前、広島に来ています。旧ソ連の崩壊後、92年に夫婦で訪れたゴルバチョフ元大統領です。「ゴルビー」の愛称で知られる彼は、こんなメッセージを資料館に残しています。

【ゴルバチョフ元大統領】
「歳月がヒロシマの悲劇の痛みを和らげることはできませんでした」
「このことは決して繰り返してはなりません」
「私たちは原子爆弾の犠牲者のことを決して忘れてはなりません」

革命家は親子2世代で
 キューバ革命の伝説的英雄、チェ・ゲバラは半世紀以上も前に訪れていました。革命政権が成立した直後の1959年7月に来日し、池田勇人通産相(当時)と会見した後、予定になかった広島訪問を強く希望したといいます。

 1泊して慰霊碑に献花、資料館や原爆病院を訪れました。「君たちはアメリカにこんなひどい目に遭わされて、怒らないのか」と言い残したことが有名です。カメラ好きで知られ、本人が爆心地近くで撮影したモノクロ写真が見つかっています。

 広島行きを強行したのは、多数の人びとを一瞬で殺傷した原爆の残虐性に関心をもっていたからではないかといわれています。

 また、その足取りを追って、長女アレイダ・ゲバラさんも2008年に来日、広島で講演しました。ゲバラの死後、母親から「平和のために闘うためにはここを訪れるべきだ」と記した(広島訪問時の)絵はがきを見せられたそうです。

【チェ・ゲバラ】
「痛ましいのは原爆が投下されて14年たった今年も後遺症で多くの人が亡くなっていることだ」
「資料館では、胸が引き裂かれるような場面を見た」
(帰国後キューバの新聞に寄稿)

 革命の同志、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)も2003年3月に広島を訪問。資料館で「このような野蛮な行為を決して犯すことのないように」と記帳しました。帰国後、このようなメッセージを広島市に届けました。

【カストロ議長】
「何百千万の人々があの地を訪れるべきだ。あそこで起こったことを人類が真に知るために」
「あの攻撃はまったく必要のないもので、モラル上も正当化できない」
「日本国民は一言も恨みを発しなかった。それどころかそのようなことが2度と起こらないよう平和を願う記念碑を建てた」
(帰国後に国会で演説)


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