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近現代史綜合スレ

80とはずがたり:2005/05/27(金) 18:31:21
精鋭の豹兵団、80%が戦死…元日本兵2人が所属
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050527-00000305-yom-soci

 防衛庁防衛研究所や戦友会の戦跡記録によると、ミンダナオ島で生存していた元日本兵と見られる2人が所属していたとされる旧陸軍第30師団は、1943年(昭和18年)6月、朝鮮半島の平壌で編成された。

 「豹(ひょう)兵団」と呼ばれ、総員約1万6000人、20歳代前半の兵士が主力だったが、80%が戦死したという。

 当初は対ソ連戦に備えていたが、南方の戦局悪化により、44年4月、ミンダナオ島防衛のため出動を命じられた。

 2人が所属していたとされる同師団捜索第30連隊は、車両などを備えた約470人の偵察部隊。同年6月、同島に到着し、ジャングルや山岳地帯で活動したという。

 第30師団の戦友会「豹の会」会長の市川豪一さん(89)(大阪府東大阪市)によると、同師団は「豹兵団」と呼ばれた精鋭部隊だった。

 しかし、戦場は米軍の制空権の下にあり、各地で激戦となった。同年10月にはマッカーサーが北のレイテ島に上陸、第30師団からも主力部隊が投入されたが壊滅した。45年3月には米軍がミンダナオ島上陸を開始。部隊は散り散りとなり、ジャングルなどでのゲリラ戦に突入した。同師団の戦死者・生死不明者は1万2000人を超え、日本に帰還したのは3000人程度に過ぎなかった。

 豹の会の戦跡記録によると、捜索第30連隊は、上陸した米軍と速射砲などでの激しい戦闘となり、劣勢の中、切り込み作戦などで応戦した。大勢が決してからは、飢えと病に苦しみながらジャングルの中を進み、投降が始まったのは9月になってからだった。

 同連隊では、在籍473人中、287人が戦死したという。
(読売新聞) - 5月27日13時38分更新


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