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近現代史綜合スレ
690
:
名無しさん
:2015/10/24(土) 20:57:58
>>689
当時、日本の教科書国定化を指揮したのは、明治の軍人、児玉源太郎(1852〜1906)だった。児玉は事件発生の直前である1902年9月18日、桂太郎首相(1848〜1913、朝鮮強制併合当時の首相)に教科書界に蔓延したわいろ不正の摘発を急ぐよう手紙を送った。 わいろ事件の摘発を契機に国定化方針が確定すると、彼は1903年7月に桂内閣の内務大臣と文部大臣を兼任し、教科書国定化を本格的に指揮していく。 こうして見ると、日本の教科書国定化と戦争遂行のための「忠良な皇国臣民養成」はコインの両面だった。
以後、日本の教科書は国民精神改造の道具に変わって行く。日本が最初に国定化を推進した科目が、人間の思想に関連する修身・歴史・国語科目だったという事実がこれを象徴的に示している。
それとともに既存の検定制教科書の内容が大幅に修正され始める。 滋賀大学附属図書館が2006年11月に出した『近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現在まで』によれば、「これまで多くの検定教科書が神代(日本の歴史で神話の時代に該当する時期)を省略してきたが、国定教科書では神代から始める歴史教育を復活させた」と指摘している。 これは日本の子供たちが自国の歴史を石器時代という“考古学的事実”ではなく「(日本の創造神である)天照大神は天皇陛下の先祖」という“主観的神話”から習い始めたことを意味するわけだ。 戦争末期に使われた『初等科国史』下巻は、日本が起こした満州事変と大東亜戦争を「東洋平和を確立するためのもの」と正当化し、「私たちは一生けんめいに勉強して…立派な臣民となり、天皇陛下の御ためにおつくし申しあげなければなりません」で終わっている。このような天皇中心の歴史観は、靖国思想などと結びついて「日本は神国なので絶対に戦争に負けない」 「天皇のために死んで靖国で会おう」という盲目的な国家観につながっていった。 当時の日本政府の宣伝戦がどれほど乱暴だったかは、朝鮮総督府が発行した機関紙である毎日新報の紙面をいくつか見るだけで容易に感じをつかむことができる。
(2)に続く。
東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
最終更新:10月24日(土)15時33分
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