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近現代史綜合スレ

67とはずがたり:2005/03/31(木) 13:17:22
戦争で中止、幻の1940年万博入場券 一宮の青山さんが保存
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050331-00000009-cnc-l23

[愛知県] 1940(昭和15)年に東京と横浜の2会場で開催予定だった「紀元2600年記念 日本万国博覧会」の抽選券付き回数入場券を保存している、一宮市西島町の織物業青山恭一さん(64)が、入場券の一宮市への寄贈を検討している。日本万博は日中戦争の影響で中止となったのに伴い、入場券の大部分が払い戻されており、博覧会協会によると回数入場券を1冊丸ごと残していた例は珍しいという。

 回数入場券は12枚つづり。1冊10円で、表紙の通し番号が抽選番号になっている。当時、東京に住んでいた青山さんの父・洋さんが購入したもので、万博中止後の44年、戦争激化に伴い一家で蒲郡市に疎開した後も、入場券はそのまま保管していた。

 70年の大阪万博の際、中止した日本万博の入場券と大阪万博の入場券の交換が可能となったため、洋さんは「家族で万博に行ける」と喜んだが、開幕前年の69年、念願を果たせないまま66歳で亡くなった。

 その後、入場券は名古屋市に住む青山さんの兄が保存していたが、愛・地球博(愛知万博)の開催に合わせて「愛知万博の盛り上げに利用できないか」と青山さんが譲り受け、一宮市への寄贈を打診中。

 既に、愛知万博の会場を訪れたという青山さん。父親が「大阪万博に行ける」と入場券を眺めながら喜んでいた顔を思い出したと言い、「父の夢がかないました。戦争で中止された万博から65年。無事開かれた万博に平和を実感した」と話している。 (広瀬和実)
(中日新聞) - 3月31日10時51分更新


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