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近現代史綜合スレ

652名無しさん:2015/10/03(土) 13:59:31
>>651

「侵略」、「国策の誤り」めぐり、歴史家メンバーは認識共有
――その懇談会の構造が色濃く反映されて、談話が出てきたと考えていいのだろうか。

白石 提言は懇談会で作ったが、談話は官邸が決める。そこは切れている。これはわれわれも理解の上で懇談会に入っている。同時に、懇談会の議論からあまり逸脱した談話は出せないだろうとも思っていた。その意味では、微妙な緊張関係にあった。

――細谷先生は第4回会合で報告されたが、懇談会の雰囲気とか、委員とのやりとりはどうだったのか。

細谷 特段事前に強い要望もなく、かなりの程度、自由にお話しさせていただいた。懇談会ではプロフェッショナルな歴史家の方々の中では、とりわけ20世紀前半の歴史をどう見るかということについて、例えば「侵略」や「国策を誤った」ということについて、その認識を共有していたと思う。

一方で、懇談会の提言を前提として、安倍首相がどういう言葉を選ぶかというのは、最初の段階では分からない。緊張感があったと思うし、また、かなりの程度不確定な部分があったのだろう。

談話の内容で、私にとって想定外だったのは、「過去」の記述がここまでたくさん入ったことだ。提言では戦後の和解をかなり強調していたので、戦後の部分が大きな字数を占めると思っていた。村山談話というものを引き継ぐ立場も明確だった。言葉の使い方も、「戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さん」というように、具体的な言葉を使って踏み込んでいる。首相は21世紀構想懇談会に出席する中で、相当いろいろと悩んで、またご自身で勉強されて、考え方も少しずつ広がり、変わっていった部分があるのかなと思う。

目の前の政治、国際関係も談話のトーンに影響
白石 メディアは談話の字句にものすごく関心を持ち、中国、韓国の反応に注目したが、少しピント外れだったのではないかと思う。安倍首相は、そもそもそのようには考えていなかったのではないか。むしろ日本国民に対してどのような談話を出すか、日本の同盟国である米国、さらにはパートナー国の人たちにどういうメッセージを出すか、もっと広く考えていたのではないかと思う。

その意味で、僕は、一昨年のオーストラリア議会での演説、それから今年4月のバンドン(インドネシア)でのアジア・アフリカ会議60周年を記念する首脳会議の時の短い演説、5月のアメリカ議会での演説、こういうものはすべて一連のもので、その締めくくりとなるのが今回の談話だと考えたほうがいいと思う。

川島 全くそのとおりだ。ただ、意外な展開もあった。安保法制の国会審議が延び、談話発表が国会会期中になってしまった。加えて安保法制ももめて、7月は支持率も下がった。談話は本来会期外に公表されるはずだったのに、国会運営や世論の動向と深く関わるものになったということだ。そのため公明党はもとより、さまざまな配慮をする必要が生じた。より詳細な談話の作成過程、特に7月の最終週と8月の半ばまでに、どういうせめぎ合いがあって、ああいう長い談話になったのかというのは、やがて検証されるだろう。

細谷 国会審議が延びたというのはかなり大きい。安倍談話が閣議決定になるという時点で、公明党が了承できないものということはあり得なかったと思う。もう一つは、昨年のAPECサミットから日中関係が比較的好転していること。日本も中国も、日中関係を改善しようという動きを示しており、歴史認識をめぐってそのような動きを傷つけるような言葉や姿勢というのは示さないという配慮が、双方の側にあったと思う。9月3日の習近平主席スピーチも、日本に対してそれほど厳しい言葉は含まれていない。結局、歴史認識や談話というのは、現在動いている政治の中で作られるのだとも感じる。関係改善の中で、双方が慎重に言葉を選んだのだろう。


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