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近現代史綜合スレ

647名無しさん:2015/09/28(月) 22:30:55
>>623

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150928-00010001-chuokou-pol
「I」と「We」と「Japan」――戦後70年談話の複雑な構造
中央公論 9月28日(月)8時0分配信

 戦後七〇年談話が発表された。「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」など、村山談話をはじめとする歴代談話のキーワードがすべて盛り込まれていることから、個別的な批判はあるものの、おおむね評価する声が多いようだ。

 しかしながら、重要なのは、いかなるメッセージを、誰が誰に対して発しているかである。実を言うと、この談話はかなり複雑な構造をしている。

 その複雑さは、談話を英文で読むとよりはっきりする。

 談話は長短五つのパートから成るが、最初と最後のパートは主語が「We(私たち)」で統一されている。これに対し、近代日本をめぐる歴史観を語る第二のパートは、主語が「Japan(日本)」になる。そして一番ややこしいのは第三のパートであり、「I(私)」と「We」、そして「Japan」が完全に混在する。第四のパートも基本は「We」だが、「Japan」が加わる。

 昔、英作文の授業で習ったように、同じ主語の繰り返しを避け、ある程度言葉を入れ替えるのは、特別なことではないのかもしれない。とはいえ、談話全体が「We」パートと「Japan」パート、そして混在パートに明確に分かれるのは、何ごとかを暗示しているのかもしれない。

「We」パートは、国内外に向けて、日本政府としての決意を語る部分であろう。本来、内閣による談話とは、そのような部分が中核になるはずであり、その意味では談話の始めと終わりが「We」パートになるのはきわめて自然である。

 これに対し、「Japan」パートはやや特異である。特定の歴史観を一政治家、もしくは一政党として示すならともかく、歴代の内閣をかなりの程度拘束するこの種の談話に、踏み込んだ歴史観を盛り込むことは、それ自体として論議されてしかるべきである。

 というのも、西洋列強による植民地圧力に対して近代日本が立ち上がり、日露戦争で勝利したまではよかったものの、その後世界恐慌のダメージで孤立し、国際秩序への「挑戦者」になってしまったという歴史観は、けっして自明でも中立的でもないからである。とくに日露戦争の勝利は「アジアやアフリカの人々を勇気づけました」という件には、海外からの異論もありうるだろう。このパートはやや、国内向けの印象が強い。

 問題の第三パートであるが、主語が混在していることには理由がある。元々の日本文の主語がきわめてあいまいなのである。そのため、主語を明示しなければならない英文だと、「I」と「We」、そして「Japan」が混じってしまうのである。英訳者の苦心がうかがえる。

 それではなぜ、日本文の主語があいまいかといえば、これにも理由がある。談話のキーワードである「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」がすべてここに集中しているのである。「植民地支配」や「侵略」はその主語が明示されず、「反省」や「お詫び」の主語で「私たち」は避けられている。結果として、この部分に関して、安倍首相の価値判断がわかりにくい。

 パートによって語りかける相手が微妙に変化し、あるパートではあえてすべてが宙づりになっていることは、談話が文章として出来が悪いことをけっして意味しない。むしろ、日本政府が世界や日本国民に対して、いかなるメッセージを発するべきか、実に微妙である現状をよく示しているのかもしれない。だとすれば、この複雑さを自らの行動を通じていかに明確化していくかが、日本政府の次なる課題となるはずである。
(了)

宇野重規=政治学者
最終更新:9月28日(月)8時0分


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