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近現代史綜合スレ

62とはずがたり:2005/02/12(土) 19:13:19
冷徹に現在の岐阜県出身と記述すべし。
親父の任地の旭川でたまたま生まれただけの井上靖が北海道出身になっているのは納得が行かないぞ,俺は!!


島崎藤村は何県出身?生地・長野の村は岐阜に越県合併
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050212-00000305-yom-soci

 長野県山口村が13日、県境を越えて岐阜県中津川市に編入合併される。

 同村出身でこれまで辞書などで長野県生まれと表記されてきた島崎藤村(1872―1943年)の出生地をどう表記するか。出版社や地元の人たちに、戸惑いの声も出ている。

 藤村が生まれたのは、当時の筑摩県馬籠(まごめ)村。同村の区域を含む筑摩県東部は1876年、長野県に統合され、馬籠地区は1958年の合併で山口村となった。藤村は、9歳で上京したものの、馬籠宿を舞台にした「夜明け前」など古里への思いが詰まった作品も数多く残しており、「信州人」という認識が定着している。

 岩波書店は広辞苑で長野県生まれと表記しており、改訂間近だけに対応に苦慮しているという。編集部は「岐阜県とした上で、旧国名や旧県名をカッコ書きする案もあるが、字数の都合や各人物が持っている雰囲気もあり、難しい問題」と話す。

 大辞林を出版する三省堂も「文化的なものには一般化された認識がある。いきなり(越県合併という)新しい状況を書いても理解されない」と、困惑気味だ。

 「長野県歴史人物大事典」など、藤村を扱う書籍を数多く出している郷土出版社(長野県松本市)は「藤村は信州人、という精神風土に合わせた表記が必要だが、改訂の際は、越県合併にも触れないわけにはいかないのでは」と話している。

 表記が変更される可能性について、山口村・馬籠宿にある「藤村記念館」関係者は「藤村自身はどう思うだろうか。越県合併しても、藤村が生まれたのは信州であることに変わりはない」と指摘する。

 藤村の孫の妻で、馬籠宿で土産物店を営む島崎黎子さん(68)は「藤村が信州を描いたのは確かだが、作品が変わるわけでもなく、馬籠も変わらない。(藤村が反対運動の象徴となった)昭和の合併のころとは、時代が違う。岐阜になるからといって、どうこう言う時代ではない」と話す。

 山口村教育委員長の小川洋一さん(71)は「藤村の古里が馬籠であることに変わりはない。信州の藤村でも岐阜の藤村でもなく、今や作品が外国語にも訳されている『世界の藤村』ですから」と話す。
(読売新聞) - 2月12日14時43分更新


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