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近現代史綜合スレ

612名無しさん:2015/08/13(木) 15:25:08
>>611

 実際に、広島攻撃前の3週間だけでも17の都市がB-29の絨毯爆撃攻撃を受け壊滅的損害を受けている。しかし、戦争指導部にとって衝撃であったのは、そのような国民の多大な犠牲よりは、8月9日午前0時から開始されたソ連軍の満州侵攻であった。これによって、戦争指導部にとり最後の望みであったソ連を通しての停戦工作の望みが完全に絶たれたからである。

 そして、最高戦争指導会議がソ連侵攻後の8月9日に開催され、昭和天皇の「ご聖断」を仰ぐことになった御前会議が8月10日午前0時3分から開催されたのであった。

 このような時系列から判断しても、日本の戦争指導部に終戦の決意を促したのは、原爆というよりはソ連であったということができる。

■ アメリカにも日本にも都合が良かったという説

 日本降伏の直接的な引き金は原爆だったのか?  ソ連だったのか?  という議論をより進化させて、「原爆攻撃は、日本の戦争指導部にとっても“タイミングが良い”出来事であった」という考え方も存在する。

 すなわち、原爆攻撃以前にも多数の都市が絨毯爆撃攻撃や艦砲射撃によって破壊され、数多くの国民が犠牲になっていったが、日本の戦争指導部はそのことに対してあまりに無能であった。

 ところが、「残虐なる新型爆弾」による「想像を絶する損害」を口実にポツダム宣言を受け入れることにすれば、自らの無能な戦争指導から原子爆弾に責任を転化することができるというわけだ。

 つまり、「原爆攻撃免罪論」はアメリカのリーダーたちにとっても日本の最高戦争指導部にとっても、それぞれ自身が抱える罪悪感を軽減するために好都合な説明ということになる。

 もちろん、このような解釈も数ある「原爆攻撃に対する議論」の1つにしか過ぎない。しかし、被爆国である日本がさしたる疑問も抱かずにアメリカでの定説であるからというだけで「原爆攻撃免罪論」を受け入れているようでは、犠牲になった人々に対して無責任であるとの誹りを免れないであろう。

北村 淳


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