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近現代史綜合スレ

607名無しさん:2015/08/10(月) 15:52:23
>>606

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150809-00000037-san-pol
公電ソ連遮断 日本をだまし討ち、事実上の無通告
産経新聞 8月9日(日)7時55分配信

 ソ連の対日宣戦布告を伝える佐藤尚武(なおたけ)駐ソ連大使の公電がソ連当局に封鎖され、日本に届かなかったのは事実上の「無通告」であり、満州などに武力侵攻したソ連が和平仲介の望みをつなぐ日本をだまし討ちしたことになる。ソ連の後継国家であるロシアは北方領土の領有を「第二次大戦の結果」と主張するが、スターリン首相が日露戦争の報復と領土拡張のため、中立条約を無視して踏み切った「侵略」戦争の側面があったことは否定できない。 (編集委員 岡部伸)

                   ◇

 「ソは遂ニ起チタリ、予ノ判断ハ外レタリ」

 昭和20年8月9日午前6時(日本時間)、大本営からの電話でソ連の参戦を知った河辺虎四郎陸軍参謀次長は日記にこう記している。「中立」を信じてソ連の仲介による戦争終結を構想していた日本には、ソ連の宣戦布告はまさに寝耳に水だった。

                  ×  × 

 敗色濃厚となった日本の中枢は、最後の頼みの綱としてソ連を仲介役に米英との和平を模索していた。日本にとってソ連は中立条約を結んでいる唯一の大国だった。20年4月5日にソ連は日本政府に中立条約を延長しないことを通告してきたものの、条約は翌21年4月まで有効で、20年6月中旬からソ連を仲介役とする米英との和平工作がひそかに進められていた。

 ところが、2月のヤルタ会談で対日参戦の密約を交わしたソ連は侵攻の準備を進めていた。日本の甘い見通しにソ連は明確な態度を示さず、参戦準備を察知されないように在欧日本人の帰国の便宜を図るといった隠蔽(いんぺい)工作も行っている。

 ソ連に傾斜した日本は近衛文麿元首相を特使としてモスクワに派遣することを決め、7月12日、天皇から親しく命を受け、東郷茂徳外相はモスクワの佐藤大使に「ソ連の意向を調整するよう」訓電を送っている。

                  ×  × 

 外務省欧亜局東欧課作成の「戦時日ソ交渉史」によると、佐藤大使は近衛特使派遣をソ連に告げ、モロトフ外相との面会を求めた。ポツダム会談から首脳が帰国した8月7日、クレムリンから「8日午後8時(日本時間9日午前2時)にモロトフが会う」と連絡があり、その後「8日午後5時(同8日午後11時)」に前倒しされた。

 佐藤大使は近衛特使派遣をソ連が受け入れたと期待して8日、クレムリンを訪れたところ、モロトフ外相から渡されたのは宣戦布告文だった。最後にどんでんがえしを食らった格好だ。

 9月2日、スターリンは対日「戦勝」記念演説で次のように語った。

 「1904年の日露戦争でのロシア軍の敗北は国民の意識に重苦しい思い出を残した。この敗北はわが国に汚点を印した。わが国民は日本が粉砕され、汚点が一掃される日が来ることを信じ、そして待っていた。その日は訪れた。このことは、南樺太と千島列島がソ連に移ることを意味する」

 スターリンのこの演説は日露戦争への報復と領土拡張が日本との戦争の目的だったことを示している。


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