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近現代史綜合スレ

56とはずがたり:2005/01/28(金) 18:05:49
【平沼騏一郎特集】>>52-56

http://www.hiranuma.org/japan/
http://www.hiranuma.org/japan/talk.html
「平沼邸炎上す」
「父のこと」

なかなかドラマが有るねぇ。小説の題材に十分なりそうだ。
しかし右翼の巨頭としての平沼の姿は赳夫の目にはこう映っていたようだ。
> 西園寺公に、平沼は神がかりで、迷信家であると、嫌われた祖父。
>明治維新以後、西洋礼讃で、日本本来の姿が失われつつあるのを嘆じて、
>自ら国本社を興し当時のマスコミによりファッショの首魁とされていた祖父、
>この祖父のために弁解させてもらえば、騏一郎は、神がかりでも、ファッショでも、右翼でもない。
>強いて言うならば、神を信じ、神ながらの国日本を誇りとし、
>日本の伝統と文化をこよなく愛した愛国者だったのである。

>長年親交の深かったグルー米国防長官代理に一生懸命働きかけて、何んとか戦争になるのをくい止めようとしていたのであるが、
>これが軍に洩れ、「鬼畜米英に内通する国賊」とまでいわれ、その命をねらわれ、軍の意を体した右翼の神官が、
>騏一郎の郷里美作出身の代議士の紹介状を持って現れ、面談中の騏一郎めがけて、至近から、首から上をねらい、拳銃弾を浴びせかけ、五弾が顔面から首にかけて命中、騏一郎は瀕死の重傷を負った。
>七十歳を過ぎていたにも拘わらず、奇跡的に一命を取留めたのであるが、このことは平沼家にとっても一大事件であって、父にとっても大変なことであったと想像出来る。

平沼騏一郎は右翼の大物でしかも複雑怪奇と云って辞めた無能なイメージがあるが,開戦にも反対し,最終局面では無条件降伏派として活躍したのか,知らなかった。
それにもかかわらず戦争へ至る過程での指導的立場によりA級戦犯として服役したのか。。まぁ東京裁判の基準も全然公平なものではないだろうしね。

司法官僚のボスとしてまた観念右翼の大物として暗躍した姿と戦争回避に動く姿は被らないが,親米反共右翼だったと云う事なのか?それとも軍部と結んでの政党政治の排撃は権力闘争の一環であったか?
神憑りではあったが戦争が仕事の軍部と司法官僚出身者との違いが此処にあったのか?


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