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近現代史綜合スレ

1とはずがたり:2004/01/15(木) 18:45
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/zinbutu.htm
近代史の人物に関するデータベース

http://sound.jp/jyosyuu/gunkayougokaisetu.htm
軍歌用語解説

戦後政治史ファン倶楽部
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7643/index.html

吸収したスレは>>2-6あたり。

46とはずがたり:2005/01/23(日) 00:31
日本側の朝鮮総連への腰の引けた態度が目に付く気がするが。。
しかし王道楽土の社会主義建設を進めていた北朝鮮と軍事クーデターで政権簒奪の韓国ではねぇ。

文世光事件:韓国政府・外交文書公開 日韓捜査に食い違い
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050121ddm007030045000c.html

 ◇韓国側、不満あらわ−−「総連への捜査を忌避」

 【ソウル堀信一郎】20日公開された文世光事件の外交文書のうち、韓国法務省の資料で、両国の捜査結果の食い違いが浮き彫りになった。特に焦点の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関与について韓国側は「日本は朝鮮総連の捜査を忌避している」と指摘し、日本側の捜査姿勢に不満をあらわにしている。事件発生から死刑執行まで、わずか4カ月。文書が公開されても、謎は残されたままだ。

 ◆指令があったか

 文元死刑囚がいつどのように犯行を決意したかについて、韓国側は「73年9月に朝鮮総連地方幹部が指令した」と断定。一方、日本側は「73年9月初めに在日本韓国青年同盟が8・15朴政権打倒のスローガンを掲げた時」とし、単独で決意したと結論づけている。

 ◆贈答の意図は?

 日韓とも文元死刑囚が朝鮮総連地方幹部から朝鮮ニンジン酒などを受け取っていたことを突き止めている。しかし、韓国側が同時に「革命のために努力しろというメッセージ」が伝えられたと明らかにしているのに対し、日本側は「異例なことではあるが、それ以上の関係は不詳」と結論付けた。

 ◆謀議はあったか

 韓国側は「朝鮮総連の指示により、地方幹部が文氏を扇動し、朴大統領狙撃や韓国政府転覆、共産革命を謀議した」と当時書類送検された朝鮮総連地方幹部との謀議を明確にしている。だが、日本側は「(同幹部による)狙撃教唆や陰謀の確証はない。同幹部を被疑者とみる捜査はできない」と共謀性を否定した。

 ◆資金協力は?

 韓国側は「74年5月中旬、文元死刑囚が朝鮮総連の地方幹部に犯行計画を報告し、7月25日に同幹部から現金80万円を受け取った」と断定した。日本側はこの地方幹部を資金提供者とは決めつけず、「マエダ」という名の正体不明の人物が75万円の犯行資金を提供したと推定している。

 ◆入院の理由は?

 文元死刑囚は74年2月に東京都内の病院に入院したが、韓国側は費用29万円を朝鮮総連の地方幹部から受け取り、「偽装入院した」と断定。「入院中に共産主義教育と狙撃要領の訓練を受けた」と結論づけた。日本側は入院費用の出所は不明としながら「病室は7人部屋のため、特別学習には適さない」と偽装を否定した。

 ◆万景峰号乗船の目的

 文元死刑囚は事件前、大阪港に停泊中の北朝鮮の万景峰(マンギョンボン)号に乗船していた。韓国側は「74年5月3日、文氏は朝鮮総連職員の案内で万景峰号に乗船し、北朝鮮の工作指導員から朴大統領の暗殺指令を受けた」と断定した。日本側は「日時は未確認だが、乗船したことは明白だ」としながらも、北朝鮮の指令伝達には触れていない。

47とはずがたり:2005/01/23(日) 00:32

 ◇米通じ対日圧力−−韓国

[ソウル堀山明子] 韓国政府が公開した文世光事件の外交文書では、朴正煕(パクチョンヒ)政権が朝鮮総連に対する取り締まりを日本に実施させるため、米国カードを使って圧力をかけようとする外交戦略の実態が浮き彫りにされた。事件の背後に北朝鮮の指示と朝鮮総連の協力があったとみる韓国は、朝鮮総連に対する規制を最大の外交目標にしていた。

 韓国外務省作成の狙撃事件特別外交計画案(8月26日〜9月15日)によると、韓国政府は、対日外交の重点として▽強制捜査の催促▽日本の陳謝▽犯罪人引き渡し▽朝鮮総連など反韓国団体の活動抑止−−と明記したリストを作成していた。

 さらに実行された項目の横には手書きで日付が書かれており、「日本側の態度に我々政府が納得できない場合、強硬な対日抗議を行うとの文書を発送」の横には椎名悦三郎自民党副総裁が特使として訪韓する直前の「9月14日」の日付があった。別の文書には日本が朝鮮総連に対する規制を取らない場合、国交断絶も含めた5段階の対抗策を講じるシナリオが記されており、こうした韓国政府の強い意思を日本側に伝えたとみられる。

 同計画案の対米課題には「米国政府要人を通じた対日圧力交渉」という項目があり、▽外相の訪米▽米国要人への直接説明▽駐米大使への特別訓令−−などのリストが挙げられ、9月中旬の日付が書かれていた。

 また、9月9日作成の対日交渉対策案によると、米国を通じて対日圧力をかけた経過について、▽外相が米国大使代理にわが国の理解と支持を求める(9・2)▽駐米大使に米国が対日影響力を行使するよう、交渉を指示(9・3)▽フォード米大統領、キッシンジャー米国務長官が訪米する日本の首相と外相に影響力を行使するよう、駐米大使に特別交渉を指示(9・3)−−と、日誌形式で掲載されている。

 日韓両国は当時、9月19日に再発防止のテロ対策で合意する方向で田中角栄首相の親書を作成中で、朝鮮総連規制をどこまで明記するかをめぐり攻防を続けていた。韓国政府は、田中首相が19日に訪米する計画である点に着目。米国を通じて、朝鮮総連への規制が具体的に確約されるよう働きかけていたとみられる。

 ただ、当時のフォード米政権は、日韓関係の悪化は北東アジアの安保体制を弱体化させると懸念しており、むしろ仲介役となって日韓関係改善を促していた。韓国の駐米大使から外務省への9月11日付公電は、米国務次官補から「韓日間の事態に深刻な関心を持っており、早く事態を収拾するよう要請された」と報告している。

 ◇最後に「バカでした」−−文・元死刑囚

[ソウル堀信一郎] 文世光元死刑囚は、1審(74年10月19日、死刑判決)、2審(同年11月20日、控訴棄却)とも起訴事実を認め、12月17日の大法院(最高裁)で上告を棄却され死刑が確定。12月20日に死刑が執行された。文元死刑囚は公判の中で自分の思想を語り、最後には「バカでした」と悔いながら死刑台に消えたという。

 韓国紙「朝鮮日報」出身の金泰浩(キムテホ)氏の著書「終わらない審判」(韓国・三民社)によると、文元死刑囚は「いつから共産主義思想を持ち始めたのか」との裁判官の質問にはこう答えている。

 「高校1年の時からだ。韓国人なので民族差別を受け、べっ視された。こうした民族的なコンプレックスを解消するために共産主義の本を読んだ」

 公開された外交文書「狙撃事件の真相と背景」によると、文元死刑囚は、高校在学中から「共産党宣言」「金日成(キムイルソン)選集」「毛沢東語録」など共産主義関係の本を読んだ。

 その過程で、日本の資本主義社会構造と、在日韓国人の不満を解消するには、全世界が共産主義社会になることだという考えに至ったという。高校2年で中退する際には「勉強すべきことは全部した。だからやめる」と話していたという。

48とはずがたり:2005/01/23(日) 00:33

 1審の判決公判によると、死刑の代価を払うことになった、国立劇場での狙撃はわずか7秒間の出来事だった。▽座席で銃を取り出そうとして1発目が誤発▽通路に移動して舞台に向かい、約20メートルの距離から撃った2発目は演説台に当たった▽舞台に近づいて発射した3発目は不発▽約18メートルの距離から発射した4発目が、陸英修(ユクヨンス)夫人に命中▽聴衆の足に引っかかって倒れながら発射した5発目は演壇後ろの国旗に当たった−−と明らかにされている。移動距離は約19メートルだった。

 死刑場には、たばこ、コーヒー、麦茶が用意されていた。「私はバカでした。韓国に生まれていれば、こんな罪を犯さなかった。朴大統領に心から申し訳ないと伝えて下さい。国民の皆さんにも申し訳なかったと伝えて下さい。(死亡した)陸女史と(流れ弾に当たって死亡した)女子学生の冥福をあの世に行っても祈ります。だまされて過ちを犯した私がバカで、死刑になっても当然です」

 死刑執行直前の言葉は、嗚咽で何度も中断したという。

 ◇事件の74年、南北朝鮮の対立が先鋭化−−韓国で民主化闘争、激しさ増す

 文世光事件が起きた74年は、南北朝鮮の対立が先鋭化する一方、韓国では朴正〓大統領の「維新体制」に反発する民主化闘争が激しさを増していた時期だ。

 韓国と北朝鮮は72年7月、自主・平和・民族大団結をうたった「南北共同声明」を発表した。しかし、南北分断後、初めて政府間レベルで行われた対話と交流は、統一への希望どころか双方の体制固めの転機になった。

 韓国は水も漏らさぬ北朝鮮の強力な統治体制に驚き、北朝鮮は韓国の発展ぶりに危機意識を募らせた。朴政権は「南北対話を進めるため総力体制を準備する」と非常戒厳令を宣布、国会を解散させ、同12月、維新憲法を公布した。強大な権限が大統領に集中し、言論・政治活動が厳しく制限された。

 一方、北朝鮮も新憲法を制定し、金日成氏が新設された国家主席に就任した。南北とも独裁的な支配が強まった。

 朴政権の強権政治は、日本社会も巻き込んだ。朴大統領の政敵、金大中氏は非常戒厳令宣布により、帰国を断念し、日本など海外で民主化闘争を展開したが、73年、滞在中の東京のホテルで、韓国の情報機関に拉致された。金大中事件である。

 同事件に絡め、北朝鮮は、南北対話を忌避する姿勢を鮮明にした。統一への展望が失われつつある中、韓国では学生運動が活発化し、維新体制撤廃運動が行われる。朴政権はこれに徹底した弾圧でのぞみ「政府転覆を企図した」として学生、知識人らを連行・起訴する「民青学連事件」(74年)が起きている。

 韓国政府は、日本で「金大中救援運動」など「反朴運動」を展開していた在日韓国人組織に対しても敵意をむき出しにした。「日本が北朝鮮の対南工作の中継基地」と警戒心を強め、在日韓国人留学生や研修生を次々とスパイ容疑で逮捕した。「在日社会」では、朴政権の強権政治に動揺、危機感を深める在日韓国人青年が多かった。

 文世光事件は、金大中事件の翌年に起きた。当時の韓国・捜査当局の発表によると、文世光・元死刑囚も「金大中救援運動」を行っていた。

 70年代、朝鮮半島情勢は、南北共同声明の「明」から金大中事件、文世光事件へと暗転する。この二つの事件を機に南北朝鮮の対立は決定的になった。北朝鮮による日本人拉致事件が多発するのは、文世光事件から数年後のことだ。[薄木秀夫]

49とはずがたり:2005/01/23(日) 00:33

 ◇「北朝鮮の関与、不思議でない」−−小此木政夫・慶応大教授

 私は「文世光事件」が起きた1974年8月15日の朝、2年間の韓国留学を終えて帰国したのだが、当時は、朴正煕政権が厳しい国際情勢の中で必死に生き残りを図ろうとしていた時代だった。翌75年にサイゴンが陥落した時には「いずれ韓国も北朝鮮に解放されてしまうかもしれない」という危機感があふれていた。

 米ソ緊張緩和(デタント)の影響を受けた南北対話も73年には終わり、南北対立は激化した。南北は激しい体制間競争を行っていたし、同年の金大中氏拉致事件で韓国の国際的な評判は地に落ちていた。北朝鮮側には、朴政権を倒しさえすれば北朝鮮主導で統一できるという発想があったのではないか。韓国側捜査結果のように、北朝鮮がこうした事件を起こしたとしても不思議ではない。

 日本と朝鮮半島の関係では、韓国が65年の日韓国交正常化以降、日本の資金を導入して経済発展を始めていた。北朝鮮とすれば、日韓関係にくさびを打ち込み、韓国の経済発展をなんとか止めなければならないという発想があったのではないか。

 そうした観点から見れば、在日韓国人である文世光元死刑囚を使ったのは、暗殺に失敗しても日韓関係を壊せるという思惑があったかもしれない。その点では、ある程度成功したともいえる。

 事件後の日韓関係を悪化させた(「北からの脅威はない」という)木村俊夫外相の発言は、一種のデタントぼけだろう。当時の田中政権内のデタント派は「日中国交正常化の次は北朝鮮だ」程度の認識で、朝鮮半島で深刻な闘争が行われているとは考えていなかったのではないか。だから、朴政権が朝鮮総連取り締まりを要求しても、「それは行きすぎだ」という話になった。

 今回の外交文書からは、韓国側の認識を改めて確認できる。だが、韓国側の文書だけでは日本側の見方がはっきりと分からない。日本も早く関連文書を公開すべきだ。[澤田克己]

 ◆文世光事件関連の動き(すべて1974年)◆

 7・18 大阪市の派出所から拳銃盗まれる
 8・15 文世光事件。韓国大統領夫人が死亡
   16 大阪府警、偽造旅券取得に協力した疑いで日本人女性を逮捕
   17 韓国、北朝鮮工作員と朝鮮総連関係者に犯行を指示されたという「自供」内容を発表
      朝鮮総連、関与否定の談話発表
   18 「自供」で名指しされた朝鮮総連関係者が「韓国発表は根拠がない」と否定会見
   19 大統領夫人の国民葬に田中角栄首相出席
      日本、日韓首脳会談で捜査協力を約束
      北朝鮮、「事件は朴政権延命のための陰謀」と反論
   20 韓国首相が演説で「日本に責任ないと言えぬ」と主張
   27 韓国が捜査結果を発表
      韓国外相、国会答弁で対日政策で「最大の覚悟」と言明
   29 木村俊夫外相、参院での答弁で「(朝鮮半島において)北朝鮮からの脅威はない」と発言。この発言で、韓国の反日デモが激化
   30 朴正〓大統領、駐韓日本大使に「(事件は)日韓関係に重大な影響与える可能性ある」と通告
 9・ 6 デモ隊の一部がソウルの日本大使館に乱入
   19 椎名悦三郎・自民党副総裁が特使として訪韓
10・ 7 ソウル地裁で初公判
   19 ソウル地裁で文世光被告に死刑判決
12・17 上告棄却で死刑確定
   20 死刑執行

 ◆事件前後の国際情勢◆
1961・ 5    朴正〓少将が軍事クーデター
  65・ 6    国交正常化の日韓条約締結
  68・ 1    北朝鮮武装ゲリラがソウル侵入
  70・ 3    「よど号」ハイジャック事件
  71・10    中国が国連加盟
  72・ 2    ニクソン米大統領が訪中
      5    米ソが第1次戦略兵器制限条約(SALT1)調印
      7    統一に関する南北共同声明
      9    日中国交正常化
     12    韓国、大統領権限強化の「維新憲法」公布
  73・ 8    金大中氏拉致事件
      9    金正日氏が労働党書記に
  74・ 2    北朝鮮、金日成主席後継者に金正日氏指名
      8    文世光事件
  75・ 4    サイゴン陥落し、ベトナム戦争終結
      7    日韓外相会談で金大中事件に政治決着
  78年ごろから? 北朝鮮が日本人を拉致
  79・10    朴正〓大統領暗殺される
  83・10    全斗煥韓国大統領狙ったラングーン爆弾テロ事件
  87・11    大韓航空機爆破事件
毎日新聞 2005年1月21日 東京朝刊

50とはずがたり:2005/01/23(日) 00:37
【文世光事件】>>46-50

日本人の在日韓国朝鮮人への差別意識がこの事件の遠因にあるとするならば我々日本人は日本人の名誉のためにこういう差別意識を持った日本人同胞を莫迦にし差別せねばなるまい。。
・・って差別する方もなんらかのコンプレックスを抱いているのだろうし在日問題や同和問題は難しいですなぁ。差別と恨みの連鎖は何処かで断ち切らねばならないのに。。


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