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近現代史綜合スレ

457とはずがたり:2013/10/12(土) 17:11:25

中ソ和解に見る演出「抱擁はだめ、握手だけ」 日韓は?
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131008/chn13100815000011-n1.htm
2013.10.8 15:00

 やや意味深な題をつけたが、24年前、1989年5月の中ソ和解にかかわる話である。ゴルバチョフが北京を訪れ、トウ小平と首脳会談を行った際、握手はしたものの、抱き合うことはなかったという話である。

 ソ連の最高指導者の訪中は30年ぶりのことだったが、胡耀邦の死をきっかけとする民主化運動のあおりを受けて、ゴルバチョフの北京での日程は大幅な変更を余儀なくされた。天安門広場がハンスト学生らによって占拠されていたため、広場にある人民英雄記念碑への献花は中止され、広場に面する人民大会堂で予定されていた記者会見は場所を変えて行われた。

 ただ訪中のハイライトだったトウ小平との会談は人民大会堂で実現した。応援取材で北京にいた私は、会談の模様を実況のテレビ放送を通じて見守った。2人はまず握手を交わした。30秒間も続いた。腕時計で確認したのだが、長い長い握手だった。

 握手はしたものの抱擁はしなかったという事実を、当時、私はまったく気にとめなかったように記憶している。握手にばかり気をとられていた。ソ連の指導者とは握手をしても抱擁はしないというのが、その当時の中国政府の方針だったという。

 当時、中ソ和解にかかわった中国外務省職員が、北京で発行されている月刊誌(『百年潮』8月号)に回想記を寄せている。それによると、中ソ和解が現実のものとなりつつあった88年10月、トウ小平は李鵬(当時、首相)や銭其●(同、外相)らに、ソ連との首脳会談や外相会談の際、抱擁をするのかしないのか、検討するよう指示した。

 米国をはじめとする西側諸国は中ソ和解の動きを注視していた。社会主義国間の首脳会談では、抱擁は見慣れた光景だったが、トウ小平の指示はソ連との和解が西側諸国との緊密な関係を損なわないよう、配慮することを求めたものだった。

 李鵬らはトウ小平の指示に沿って、「握手だけ、抱擁はしない」ことを決めた。そのことはソ連側にも伝えられ、88年12月、銭其●がモスクワを訪れた際に行われた外相会談以降、この方針が実施されたという。握手だけでなく抱擁も、ということになれば「世界に誤ったシグナルを送ることになっただろう」と回想記には書かれている。

 最近では、「会談はだめ、立ち話だけ」という首脳と首脳の関係もある。むろんそれも、綿密な検討と計算をしたうえでのことだろう。(敬称略)

(前滋賀県立大学教授・荒井利明)


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